えひめ文化・スポーツ夢広場>えひめの郷土文化図書紹介コーナー
えひめの
郷土文化図書
紹介コーナー イラスト
 愛媛県には、多様性に富む文化や地域性を背景に、各地の様々な文化に関する郷土図書もたくさんあります。
 愛媛県立図書館では、各種の郷土図書を収集、閲覧、貸出が行われています。
 このホームページでは、同図書館のご協力により、郷土の文化に関する図書をご紹介します。

愛媛県立図書館のホームページはこちら
イラスト紹介図書一覧イラスト
※紹介内容をご覧になりたい図書の書名(タイトル)をクリックしてください。
書名(タイトル) 著者 発行社 発行年 請求番号
街道をゆく14 南伊予・西土佐の道:ワイド版NEW
(2009/02/10掲載)
司馬遼太郎(しば りょうたろう) 朝日新聞社発行
2005 K915.6-シリ-2005
ターナー島物語NEW
(2009/02/10掲載)
盛重ふみこ(もりしげふみこ)・著
大野美保(おおの みほ)・挿絵
日興書籍 2007 K913.6-モフ-2007
足論(たんぬろん)NEW
(2009/02/10掲載)
小亀崇利(こがめ たかとし)
東京四季出版 2008 H099-オタ-2008
命燃やす日々NEW
(2009/02/10掲載)
マオ アキラ 文渓堂 1993 K916-89
湯めぐり一番 道後の温泉NEW
(2009/02/10掲載)
藤原一枝(ふじわら かずえ)・文 
高橋幸子(たかはし さちこ)・絵
藤原QOL研究所 2005 K726.6-タサ-2005
ちゃんがら町(ちょう)NEW
(2009/02/10掲載)
山本孝(やまもと たかし)作・絵 岩崎書店 2004 E-ヤタ-2004
走れ、坊っちゃん列車
(2008/12/10掲載)
中村英利子(なかむら えりこ) アトラス出版 2003 K686-ナエ-2003
坂村真民詩集 全4巻
(2008/12/10掲載)
坂村真民(さかむら しんみん) サンマーク出版 2000 K911.56-サシ-2000
海賊と海城
(2008/12/10掲載)
山内譲(やまうち ゆずる) 平凡社 1997 K260-25
愛媛たべものの秘密
(2008/12/10掲載)
土井中照(どいなか あきら) アトラス出版 2004 K383.8-ドア-2004
えひめ在日一世たちのシンセタリヨン
(2008/12/10掲載)
名田隆司(なだ たかし) 文芸社 2008 K316.81-ナタ-2008
尾藤二洲ものがたり
(2008/08/25掲載)
石津ちひろ(いしずちひろ)・文
高山ケンタ(たかやまけんた)・絵
川之江ライオンズクラブ尾藤二洲顕彰会 2007 K289-ビジ-2007
鉄、千年のいのち
(2008/08/25掲載)
白鷹幸伯(しらたかゆきのり) 草思社 1997 K289-シユ-1997
海と真珠と段々畑
(2008/08/25掲載)
中村英利子(なかむらえりこ) アトラス出版  2007 K913.6-ナエ-2007
まるごと早わかり四国八十八カ所巡拝
(2008/08/25掲載)
石川達司(いしかわたつじ) 双葉社 2007 K186.9-マル-2007
るんびにの子供
(2008/08/25掲載)
宇佐美まこと(うさみまこと) メディアファクトリー  2007 L913.6-ウマ-2007
瓢壺(ひょうこ)の夢
(2008/07/03掲載)
高市俊次(たかいちしゅんじ) 新人物往来社 1987 K913−77
松山百点〜松山の伝統と文化の再発見
(2008/07/03掲載)
松山百点会
晩年の秋山好古
(2008/07/03掲載)
片上雅仁(かたかみまさひと) 瀬戸内印刷 2000 K289-アヨ−2007
忘れられた生命-ハンセン病療養所の人々
(2008/07/03掲載)
仲川幸男(なかがわゆきお) 葉文館出版 2000 K498.6-ナユ−2000
経営の風土学 佐伯勇(さえきいさむ)の生涯
(2008/07/03掲載)
神崎宣武(かんざきのりたけ) 河出書房新社 1992 K289-サイ−1992
アメリカの風が吹いた村〜打瀬船物語〜
(2008/07/03掲載)
村川庸子(むらかわようこ) 財団法人愛媛県文化振興財団 1987 K334-17
『街道をゆく14 南伊予・西土佐の道:ワイド版』
 司馬遼太郎(しば りょうたろう)著 朝日新聞社 2005年発行 (K915.6-シリ-2005)
 『街道をゆく』は司馬遼太郎氏が内外の「道」に沿って綴った全47巻の紀行文です。(有名なので紹介の必要もありませんね。)本書はその中の愛媛を取り上げた1冊で、1981年に発行されたものを大きな活字で読みやすくしたワイド版です。
 松山から出発して砥部、内子、大洲、宇和、宇和島、吉田、松野から西土佐へ。司馬さんがこの随筆のために愛媛を訪れた昭和50年代初めは、まだ古きよき日本の面影が至るところに残っていたことだと思います。今も変わらず馴染み深い名所旧跡がたくさん出てきますが、本の中に描かれた風景からは、今ではもう失われてしまった物や色、においまでが感じられる名文です。この1冊を持って、司馬さんと同じ道をたどってみるのもおもしろいかもしれません。
 本の中に登場するエピソードについて、少し関連のある話をしましょう。
 「敬作の路地」という宇和町の章に、鳥居半兵衛という卯之町の庄屋さんの話が出てきます。このお屋敷には隠し部屋があり、高野長英らが匿われたこともあるそうです。ここの門は庄屋にしては立派過ぎるとして、のちに半兵衛は左遷され、代わりに清水家が庄屋になりました。この清水家の第3代当主に清水伴三郎という人がいて、地元に教会や学校を建て、養蚕を奨励した名士として今も宇和町の著名人のひとりに数えられています。ブラジル渡航を機に波乱の多い晩年を過ごしました。
 「吉田でのこと」では、吉田藩で起こった農民一揆の話が出てきます。紙専売に絡み利益を上げようとする吉田藩と商家、それに対し搾取される山奥の貧農との間に勃発したもので、農民側の要求が通った珍しい例だといわれています。一揆の頭領である大野村(現鬼北町日吉地区)の武左衛門はただ一人打ち首となりましたが、当地区の人々は昔からこの人の遺徳を称え、誇りを持って後世に語り継いでいます。平成7年には、当時の日吉公民館長・上田吉春氏と小学校教員の松浦洋一氏の編集で、吉田藩中見役・鈴木作之進が一揆の成り行きを秘録として遺した『庫外禁止録』の井谷正命氏写本(井谷本)の翻刻が発行されました。
 以下に関連書をご紹介しておきます。

『清水伴三郎』平木国夫著 三月書房 1989年発行(K289-S31)
『庫外禁止録(井谷本)』上田吉春・松浦洋一編 日吉村教育委員会 1995年発行(K251-22)


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イラスト 『ターナー島物語』 
 盛重ふみこ(もりしげ ふみこ)著 大野美保(おおの みほ)挿絵 日興書籍 2007年発行 (K913.6-モフ-2007)
  
 ターナー島は松山市高浜港の南西500m黒岩海岸の西約200mの沖合にある島で、正式には四十島といいます。なぜターナー島かというと、夏目漱石の小説『坊っちゃん』で「四十島の松はターナー(英国の有名な画家)の絵にありそうだ」とほめたことから、いつしか、ターナー島の愛称で呼ばれるようになったと言われています。
 ターナー島は、花崗閃緑岩でできており、わずかな火山灰があるだけの島ですが、俳人、正岡子規が、「初汐や松に浪こす四十島」と詠んだように、昔は松の緑の美しい島でありました。ところが、昭和45年ごろから西日本に広がりはじめた松食い虫の被害がターナー島にも及び、昭和52年にはとうとう最後の一本も枯れてしまいました。
 この物語には、当時松山市立高浜小学校に勤務されていた北岡杉雄先生が、松の再生を夢見て、四半世紀以上にわたり試行錯誤の植樹を続け、孤軍奮闘した足跡が、教え子との交流とともに描かれています。
 この物語の出来事は、当時の新聞に取り上げられていますので、図書館などで実際に当時の新聞を読んでみるのもいいかもしれません。
 現在、ターナー島の松は見事に再生され、文化財登録制度による登録記念物になっています。
 この他に、ターナー島の松の再生に関する図書として、次の図書があります。

『ターナーの松再生』 盛重ふみこ著 日興書籍 2003年発行(K653.6-モフ-2003)

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『足論(たんぬろん)』
 小亀崇利(こがめ たかとし)著 東京四季出版 2008年発行(H099-オタ-2008)

イラスト
 尾崎足(たんぬ)をご存知だろうか?
 足が恩師「虚子」と志を同じくしながらも、その膝下を離れたのは昭和6年。反旗を翻したのではなかった。しかし足の俳句活動は、同じ師をもち、昭和の俳人として活躍した水原秋桜子、高野素十、富安風生とは仲間であったが、昭和俳壇史に全くその痕跡を残していない。
 足の執筆は昭和7年より主宰していた俳誌『さへづり』、昭和27年に改題復刊した『さち』に限られる。その表紙に手刷り版画を提供し続けたのは同郷の親友、畦地梅太郎である。50名前後の誌友とともに生きた生涯は、世に知られることはなかった。
 しかしながら尾崎足もまた「俳句の将来」を憂えてひたすら自らの信ずる道を探究し、生涯を終えたひとりの昭和の俳人である。
 生涯をかけて万物の一つとしての人間の幸福とは何か、正しい道を探る「至善の闡明」を天命と自覚し、芭蕉を遠く師とし、虚子の「花鳥諷詠」の思想を継承し、批判することによって、俳句は季題を賛美する詩であるとする「至善俳句」を確立した。
 その内容がどういうものであったか、「足俳句論」の全体像を明らかにする。

『足あと 尾崎足遺句集』 尾崎足著 菅貢 1982年発行(H099-TO)

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イラスト 『命燃やす日々』 
マオ アキラ著 文渓堂 1993年発行 (K916-89)


 鴻農周策(こうの しゅうさく)さんというNHKディレクターの方がいらっしゃいました。松山放送局でも数々の番組を作ってこられました。人間が好きで、人間の生活や気持ちを出すことを心がけ、大衆のいるところに行って番組を作っていました。そして、番組作りを通して人間のよろこびや怒りや悲しみを見ていました。
 そんな一生懸命な鴻農さんは病に倒れます。骨髄腫という骨のガンでした。鴻農さんは愛する家族に見守られながら、進行していく病気と闘いながらも以前にもまして真剣に番組を作り続けます。ジャーナリストとしての目を、障害者、病人、老人、子どもといった社会の中で弱い立場にいる人々に多くを注ぐようになります。
 鴻農さんは闘病中にある本に出会います。川口武久さんの『しんぼう』という本でした。川口さんは松山市内の病院で筋萎縮性側索硬化症という治る見込みのない病気を背負いながらさまざまな活動をしておられた方です。鴻農さんは『しんぼう』を詠んだころから川口さんと番組を作ろうと決心し、持てる力をすべてふりしぼって番組「命燃やす日々」を作っていったのです。しかし、完成目前に永遠の眠りについたのです。
 このほか闘病記をテーマにしたものに、次のような図書があります。

 『しんぼう』 川口 武久著 静山社 1983年 (493.6-18)
 『命いっぱい生きた日々』 鴻農 周策著 日本放送出版協会 1994年 (K916-107)
 『僕はガンと共に生きるために医者になった』 稲月 明著 光文社 2002年(K916-イア-2002)

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『湯めぐり一番 道後の温泉』
藤原一枝(ふじわら かずえ)・文 高橋幸子(たかはし さちこ)・絵 藤原QOL研究所 2005年発行 (K726.6-タサ-2005)

イラスト
 伊予にまどかなカラスが住んでいた。朝早くから日が落ちるまで、まめに働くカラスの楽しみは道後の温泉で一浴びすること。
 冬、白ヤギの郵便屋さんが届けてくれたハガキは、「五匹」「温泉に行く」としか読めない、差出人が「東京セントウ」という謎めいたものでした。
 何のことだかさっぱり分からず、それでもお客さんを迎える支度をしていたカラスのところにやってきたのは、浮かぬ顔をした「鶴」「亀」「竜」「熊」「鳩」。みんなは、東京の銭湯の持ち主だったのです。
 そして、湯めぐり旅行でカラスの評判を聞きやってきたと言う訳で、カラスは早速温泉に案内します。
 大きな湯舟にたっぷりのお湯。温泉はぽっかり暖か。
 みんな体の芯からほかほかになって、リラックス。大きな熊は、亀と鳩のやりとりに思わず吹き出し、ついでにお尻からも「ブワーファファー」。
 作者の藤原一枝さんは、松山市出身。東京で、小児科医として長く勤務した後、現在は人間の暮らし一般の質を考える「藤原QOL研究所」代表として、数多くの著述、講演を行っている。
 絵本の作品で『雪のかえりみち』(岩崎書店)は平成13年度児童福祉文化賞を受賞している。
 道後温泉の情景の描写に、思わず温泉に行きたくなること請け合いの一冊。文中に出てくる伊予弁も、ユーモアを醸し出している。

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イラスト 『ちゃんがら町(ちょう)』 
山本孝(やまもと たかし)作・絵 岩崎書店 2004年発行(E-ヤタ-2004)

 「よもだ」「ちゃんがら」などの伊予弁と懐かしい昭和の風景満載の絵本です。
 学校が終わると近所の駄菓子屋に集まって遊ぶ子どもたち。昭和の小学生の放課後の定番ですね。でも、この駄菓子屋「よもだや」の「よもだバア」の鳴らす鈴の合図で外に出ると、そこは昭和の時代「ちゃんがら町」の入り口で…。
 子どもたちは不思議な探検に出かけます。河童洞ではかっぱがうようよ。稲荷神社ではきつねがじろり…。なべやきうどんの「ことりてい」、みかん山のトロッコ、田んぼのわら山…。次々出てくる見たことがある景色は、まるで愛媛の…。そうです。作者山本孝さんは愛媛県松山市出身の絵本作家なのです。一度見たら忘れられない力強いタッチと色遣いが魅力的な絵で、新しい絵本が出るたびに手に取りたくなります。すみずみまで見逃せない楽しい絵の中でも、目を奪われるのが夕焼け空。とにかく空の色がきれいです。愛媛の美しい自然の中で育ったおかげでしょうか。 
 絵をじっくり見た後には、ぜひ声に出して読んでみてください。伊予弁(関西弁が混ざったような?)の会話文が多く、読み聞かせをして受けることも間違いなしです。子どもにも大人にもおすすめの絵本です。

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『走れ、坊っちゃん列車』
 中村英利子(なかむら えりこ)著 アトラス出版 2003年発行(K686-ナエ-2003)
イラスト
 伊予鉄道の最初の路線である松山・三津間が開業したのは明治21年です。これは東海道本線が全通する1年前の話であり、現存する私鉄では南海電鉄に次いで2番目の歴史を誇っています。それでは、四国の地方都市にすぎなかった松山の地に全国に先駆けて鉄道が敷かれたのはなぜでしょうか。
 ここで紹介する『走れ、坊っちゃん列車』は、こうした疑問に分かりやすく答えてくれています。この本は坊っちゃん列車自身がその誕生から現在までを語るというユニークな手法をとっていますが、単に坊っちゃん列車や伊予鉄道の歴史を語っているだけでなく、愛媛における明治期以降の産業勃興の有様を雄弁に物語っているのです。
伊予鉄道の初代社長は小林信近という人で、元は松山藩の殿様に仕える小姓でしたが、明治維新によって禄を失った士族を救済するため、様々な事業を立ち上げました。そのひとつが鉄道事業であったのです。さて、伊予鉄道の開業がきっかけとなり道後鉄道、南予鉄道、松山電気軌道といったライバルが次々に松山に誕生し、競争と合併を繰り返した結果、現在の伊予鉄道の路線網が形成されました。ここは鉄道ファンにはたまらない部分です。
 ところで、坊っちゃん列車という場合はドイツのクラウス社製等の蒸気機関車を指しますが、戦後の昭和29年、電車やディーゼル機関車に押されて姿を消しました。こうしたことは全国の鉄道で当たり前に見られたことでしたが、松山人の面白いところはこの坊っちゃん列車を復活させようと考え、伊予鉄道の英断もあってついにそれを実現したところです。この復活までのエピソードも大変面白い部分です。なお、関連する図書として下記のものがありますので併せてご一読ください。

『伊予鉄が走る街今昔』大野鐵・速水純著 JTBパブリッシング 2006年発行
(K686.9-オテ-2006)

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イラスト 『坂村真民詩集』全4巻
(念ずれば花ひらく・二度とない人生だから・宇宙のまなざし・別冊 朴のしおり)
坂村真民(さかむら しんみん)著 サンマーク出版 2000年発行(K911.56-サシ-2000)
 愛媛の農林水産物統一キャッチフレーズ『愛媛産には、愛がある。』(全国公募の中から平成14年2月に決定)をご存知ですか。のぼりや各種イベント等で、PRされています。その味のある書に惹かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それを書かれたのが、詩人坂村真民さんです。
 『坂村真民詩集』の別冊には、次のように書かれています。「…個人として、人間として、宇宙の中の地球人として、どう生きるか、という三つの観点から三部作がまとめられていて…この三部作には、わたしのこれまでの詩のエッセンスがおおむね入っている。」「もう一つ、わたしがこの三部作を出すときに願ったのは、できるだけ若い人たちに読んでもらいたいということである。」身近な存在から宇宙へ、著者の眼差しは限りなく広くそして深い。どんな年齢の方でも読みやすく、それでいながら深く心にしみこむ詩が綴られています。悲しい時、つらい時、自分を見つめ直したい時、一人静かにページをめくってください。読んだ後、生きる力が湧いてくる自分に気がつくのではないでしょうか。
 昭和37年の創刊以来、著者が休むことなく発行し続けた月刊詩誌『詩国』(平成16年3月から「鳩寿」と改題)は、163号(1976.1)から当館にもお送りいただき保存しています(欠号あり)。その時々の著者の思いを知る貴重な資料として、読み返すことができます。

【略歴】明治42年、熊本県に生まれる。朝鮮で教職についた後、昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。昭和42年には伊予郡砥部町に居を定める。平成元年愛媛県教育文化賞、平成3年仏教伝道文化賞、平成11年愛媛県功労賞受賞。平成18年12月11日、97歳で永眠。

 『坂村真民全詩集』全8巻 大東出版社 1988-2007年発行(K911.5-85)ほか多数所蔵

えひめ愛フード推進機構

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『海賊と海城』 
山内譲(やまうち ゆずる)著 平凡社 1997年発行(K260-25)
イラスト
 25年前、愛媛から本州に向かうとき、JR(当時は国鉄)を使うと、早朝に出発して6時間経ってもまだ四国の中でした。その後飛行機や高速艇を使うようになって、つくづく瀬戸内海の「瀬戸」の意味を実感し、またそこにあるたくさんの小島に見とれたものです。「瀬戸内海に浮かぶ小さくてかわいい島々」と何かで読んだ記憶があります。
 その島の中には「縄張」や「曲輪(くるわ)」とよばれる円形の石組みが認められ、島そのものが戦国時代の城の体裁を持つものが多数あるそうです。海の中の城「海城」、中世時代の瀬戸内海はこの海城の主である海賊を抜きにしては語れません。
 あとがきに「編纂物・軍学書によって作り出された虚像を古文書史料で修正していくのを基本としつつ、文献史学の伝統的な方法ではすくい取れない伝承や行動様式にも目配りをするというのが私が史料収集や史料解釈の面でめざしてきた方向である」とあるとおり、本書にはたくさんの古文書類が示され、各章の目的に沿った解釈が分かりやすいことばで書かれています。また、著者の山内氏自身が実際に船に乗り込み現地調査を行ったときの印象なども織り込まれ、テーマそのものは難しいながらも、つい引きこまれて読み進めてしまう緩急を覚える読後感でした。
 藤原純友や河野氏、村上氏など、愛媛沿海を舞台にした水軍・海賊の活動については、図書館資料の貸出しや調査の中でも群を抜く人気の項目です。
 本書には水軍と関わりの深い神社についても示唆的に数行記載されています。その神社のひとつに大三島の大山祇神社があります。大山祇神社の社家・大祝家31代安用には18歳で早世した鶴という名の娘があったそうです。その悲運の生涯は小説のモチーフとして取り上げられ、いくつかの本が出版されています。昭和41年に出版された三島安精著『つる姫さま』(原題『海と女と鎧』 大山祇神社社務所発行 請求記号:K913-148)はその最初の作品ではないかと思います。中世伊予の伝説的な歴史小説としてだけでなく、実在したひとりの女性の生き方として読むと、何かしら共感し胸の痛むような作品です。

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写真 『愛媛たべものの秘密』
 土井中照(どいなか あきら)著 アトラス出版 2004年発行(K383.8-ドア-2004)
 愛媛は海のもの、山のものが豊富にあり、たくさんのおいしい郷土料理があります。東予、中予、南予には、それぞれ特長のある郷土料理が存在します。最近は地産地消と言われ、地元で採れた物に注目が集まっています。このような時に郷土料理の秘密を知り、郷土料理のよさを考えて見るものいいのではないでしょうか。
 郷土料理といっても由来はさまざまで、いろいろな土地から伝わり、愛媛でアレンジされ、親しまれた料理が結構あります。また、なかには、意外と知られていない事実もあります。例えば、今治市や旧北条の鯛めしと南予に鯛めしはそれぞれ別の料理だなどということです。そうしたことがこの本では紹介されていて、観光をされる方だけではなく、地元の方にも楽しめる内容になっています。
 また、よくお土産で持っていく愛媛のお菓子なども、どのような経緯で作られてきた物かが紹介されています。愛媛では有名な餡入りのロールケーキであるタルトはほかでは見られない珍しいお菓子であることや、殿様が勧めたしょうゆ餅の話などがあり、ちょっとした話の種にもなるのではないでしょうか。
 紹介された食べ物がどこで食べられるか、どこで購入できるかも分かるようになっていて便利です。
 このほか郷土料理をテーマにしたものに、次のような図書があります。

 『伊予の台所』 愛媛新聞社 2004年発行 (K594-イヨ-2004)
 『伝承写真館日本の食文化 10 四国』 農文協編集・発行 2006年(K383.8-デン-2006)
 『寿将流新ふるさと料理』 平野寿将著 家の光協会 2006年発行(K596-ヒヒ-2006)
 『八幡浜ちゃんぽんバイブル』八幡浜商工会議所青年部 2007年発行(K596.38-ヤワ-2007)

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『えひめ在日一世たちのシンセタリヨン』
 名田隆司(なだ たかし)著 文芸社 2008年発行(K316.81-ナタ-2008)
イラスト
 在日朝鮮人一世の体験を、聞き書きで綴る民族史です。
 「シンセタリヨン」とは漢字で書くと「身世打鈴」となり「身をよじってみずからを語り訴えるさま」です。外国語を使い日本語訳を付けていないタイトルは不親切なように最初は思いますが、内容は、当時の事情をコラムとして紹介したり体験者の記憶間違いを訂正してあったりと丁寧な構成になっており、当時の生々しい世情を伝えます。
 1965年から1968年まで朝鮮人学校の認可を求める運動の話では、久松知事(当時)ではなく白石春樹自民党県連幹事長(当時)に会おうと毎日訪問をしたそうです。3年3ヶ月毎日通いつめても一度も会ってもらえなかったのが、認可が出る直前「もうあんたらの根気に負けたよ」と言って会ってくれたそうです。
 戦時中は朝鮮人を皇国臣民化し、朝鮮半島にある朝鮮人の学校は日本人が経営し、日本人の校長先生がいて、日本語の教科書を使っていました。朝鮮語は週に1、2時間で、授業以外でも日本語を話さなければなりませんでした。語り手の1人は、朝鮮の小学校卒業後、愛媛の長浜女学校に入学し、級長にまでなったのに「起立、礼、着席」の号令を「起立、礼、ザッセキ」としか発音できなかったり南予の方言に困ったりしたそうです。
 他にも、帰国事業、就職、名前、そして家族のことなど様々な人の様々な体験が語られます。
 愛媛発の在日朝鮮人の図書は、『在日 日韓朝の狭間に生きる』(愛媛新聞在日取材班編 愛媛新聞社 2004年発行 316.81-ザイ-2004)もあります。在日に焦点を当てることで日本の問題をあぶりだし、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した労作です。

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イラスト 『尾藤二洲ものがたり』 
 石津ちひろ(いしず ちひろ)・文/高山ケンタ(たかやま けんた)・絵 川之江ライオンズクラブ尾藤二洲顕彰会 2007年発行(K289-ビジ-2007)
 「ええなあ、鳥は。どこへでも好きなところに行けるけん。」これは、江戸時代の川之江村(現在の四国中央市)に生まれ、後に「寛政の三博士」といわれた朱子学者・尾藤二洲(びとうじしゅう)が幼少の頃、友達に語ったことばです。
 創作絵本や詩、ことばあそびなど様々な分野で活躍中の著者が、初めて書いた子供のための伝記本です。
 足が不自由だった子供の頃、自然の流れの中で、無理することなく人より一所懸命勉強する様子、家族、特におじいさんとの心温まるふれあい、また、大阪での学問ひとすじの生活、塾を開いた当時の弟子たちとのつながりの深さなどが書かれ、特に「座右十戒」という“十の心がけ”は子供たちにも理解できる形で示されています。
 後年の昌平校教官時代、そして退官してからの二洲の淡々とした暮らしぶり、また、二洲の弱い立場の人に対するいたわり、やさしさなど二洲の全貌がよく分かり、文とぴったりの絵もついていて、子供向けの話としても楽しく読めます。
 著者を含め、川之江の人たちの二洲への思いは並々ならぬものがあると強く感じさせられると共に、朱子学の教えが子供にも分かる文章で綴られていて、とても意義ある図書だと感じました。
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『鉄、千年のいのち』 
 白鷹幸伯(しらたか ゆきのり)著 草思社 1997年発行(K289-シユ-1997)
イラスト
 白鷹幸伯さんは松山市在住の鍛冶職人です。日常使いの刃物や篆刻刀を作る傍ら、日本の木造文化財を後世に遺すための和釘や古代の大工道具を打っておられます。
 その仕事で最も有名なもののひとつが、薬師寺西塔再建の折の7千本の和釘です。薬師寺は7世紀末の天武天皇の世に建立され、1528年の兵火により金堂、講堂などとともに西塔も焼失しました。そして1981年(昭和56年)に宮大工の名匠・西岡常一氏の采配の下に再建されました。本書には、鍛冶職人・白鷹幸伯のバックボーンとなる幼少期からの家業との関わりや前出の西岡氏との手紙のやりとり等が分かりやすい話し言葉で綴られています。
 本の中には含蓄のある言葉が並んでいます。以下に抜き出してみます。
「釘というのは頭と先があればいいものでもありません。古代の釘はただ先がしだいに細くなっているだけではないんです。途中にわずかながらくびれや太いところがある。それもまた意味があるわけですね。」
「それではなぜ釘を使うかというと、木は呼吸して、季節とともに膨らんだり縮んだり、膨らんだり縮んだりしているわけですが、それを何万回も繰り返していると、しまいには釘が緩んでくるんですね。とくに頭の付近がね。でも、刺さっている部分は少し錆びつつ、結びつける役目をする。(中略)それの繰り返しに耐えるもの、しかも引っ張った力の強さからいったら、やっぱり釘が一番ではないかと思うんです。」
 木造文化財を更に後世に永く遺すため、「千年もつ釘」を追求する職人魂は感動のひとことに尽きます。オートメーション化と製鋼技術の進歩により、均質で形の整った釘が作られるようになりましたが、特徴として入り易く抜け易いものになる。鉄の中にある滓を排出するために鍛錬することで表面が厚く、また繊維の方向が一定にならず、様々な方向からの力に耐えるようになる。その意味で、純鉄だけでは千年もたないといえるのだそうです。
 白鷹さんの和釘は松山城などの県内の建造物にも使用されています。
 薬師寺が建立された7世紀前後は、大国・唐から仏教や高度な技術を日本に運び込むために盛んに遣唐使が派遣された時期でした。第9次遣唐使の僧たちの鑑真和上招聘の荒波に立ち向かう姿を描いた作品に井上靖の『天平の甍』があります。合わせてご一読ください。

 『井上靖全集』第12巻 新潮社 1996年発行 (918.68-イヤ-1996)
 『天平の甍』 新潮文庫 1979年発行 (913.6-イヤ-1979)
 『天平の甍』改版 中央公論社 1979年 (913.6-イヤ-1977) ほか多数所蔵
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イラスト 『海と真珠と段々畑』
 中村英利子(なかむら えりこ)著 アトラス出版 2007年発行 (K913.6-ナエ-2007)
 愛媛県は、瀬戸内海の島々に代表される海に面した土地という側面と、石鎚山や四国山地などの山に囲まれた土地という側面があります。
 愛媛県西南部の南予(なんよ)地方では、みかん栽培や魚の養殖漁業が盛んですが、それらの光景はこの地方の青い海と緑の山々に映え、愛媛の原風景とも言えるものです。また、南予地方の佐田岬半島から宿毛湾にかけての宇和海沿岸には、細かな石を積み上げた階段状の畑が広く分布していますが、なかでも宇和海に突き出た三浦半島の北部にある「遊子(ゆす)水荷浦(みずがうら)の段畑」は山の頂まで段々が伸び、城壁のような景観が圧巻です。
 この物語は、かつて広大な段々畑が広がっていた半島の町を舞台に、真珠養殖を営む高橋家が直面する真珠養殖のさまざまな問題や将来のあり方、子を思う親の気持ちが描かれており、重いテーマながら清々しい印象です。なお、物語のなかにも出てくる段々畑の写真集は、原田政章氏の『段々畑』という写真集をモデルにしています。現存しているものよりも広大だった昭和30年代の段々畑の様子や、人々の暮らしが四季をおって紹介されています。初版は私家版でしたが、2007年にはこれら3部作がアトラス出版より復刊されています。
 (1)『段々畑』 原田政章写真集 2000年発行 (K748−ハマ−2000)
 (2)『宇和海』 原田政章写真集 1997年発行 (K748−23)
 (3)『由良半島』 原田政章写真集 1994年発行 (K748−16)

○遊子水荷浦の段畑はその景観がさまざまな指定・選定を受けています。
(1)宇和島市「うわじま新24景」
 http://www.city.uwajima.ehime.jp/kisaiya/scenery.html

(2)文化庁「重要文化的景観」
 http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shurui/keikan.html

(3)文化庁「国指定文化財等データベース」
 http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp

 トップページ>重要文化的景観>愛媛県>遊子水荷浦の段畑
(4)農林水産省「美しい日本のむら景観100選(農村景観百選)」
 http://www.maff.go.jp/soshiki/koukai/muratai/100sen/keikan.html

(5)国土交通省四国地方整備局河川部「四国のみずべ八十八ヶ所」 
 http://www.skr.mlit.go.jp/kasen/mizube88/mizube.html

 各みずべの紹介>45遊子の段畑
(6)全国漁港漁場協会「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」 
 http://www.gyokou.or.jp/100sen/100kekka.htm#


○遊子水荷浦の段畑についてはこちらにも情報があります
(1)宇和島市観光ガイド(宇和島市観光協会)http://www.uwajima.org/special/vol3/index.html
トップページ>スペシャル企画>Vol.3「遊子水荷浦の段畑」
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『まるごと早わかり四国八十八カ所巡拝』 
 石川達司(いしかわ たつじ)著 双葉社 2007年発行
(K186.9-マル-2007)
イラスト
 愛媛ではよくお遍路さんが巡礼する光景を目にします。四国八十八カ所は弘法大師が苦労の末に開かれた霊場です。その行程は、徳島県の一番札所霊山寺から高知県と愛媛県を経て香川県の八十八番札所大窪寺まで千四百キロに及びます。全てを回りきるには徒歩では長ければ六十日ほどかかる大変な旅になります。
 本書では四国遍路をしたいときに役立つ情報がたくさん紹介されています。巡り方を方法別で詳しく紹介しています。歩き遍路編、マイカー・レンタカー編、巡拝バス編、タクシー編です。特に歩き遍路編は大変なだけに、何を持っていけばよいか、どの季節がよいか、歩いている時に気をつけることなど、よく分かるように書かれています。宿泊ガイドだけではなく、寺が巡拝者のために比較的安い料金で宿を提供する宿坊のあるお寺も紹介しており、便利な情報もたくさんあります。お参りの作法、礼拝の手順など各札所で留意事項や遍路用品とお遍路用語など基本的な事項についても書かれています。四国へのアクセスの仕方も航空機、JR、高速バス、フェリーなど交通手段別に紹介されており、遠方の巡礼希望者にも配慮された構成となっています。また、四国八十八カ所の紹介があり、本尊、ご利益、各札所の案内図の情報もあります。
 このほかお遍路さんをテーマにしたものに、次のような図書があります。

 『時計回りの遊行−歌人のゆく四国遍路』
 (玉井清弘著 本阿弥書店 2007年発行 K186.9-タキ-2007)
 『気まぐれ列車で行こう 瀬戸内・四国スローにお遍路』
 (種村直樹著 実業之日本社 2005年発行 K186.9-タナ-2005)
 『はじめての四国八十八カ所いたれりつくせりカイド』
 (大塚秀見編集協力 双葉社編 双葉社 2003年発行 K186.9-ハジ-2003)
 『四国八十八カ所』  
 (溝縁ひろし著 主婦の友社 2006年発行 K186.9-ミヒ-2006)
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イラスト 『るんびにの子供』 
 宇佐美まこと(うさみ まこと)著 メディアファクトリー 2007年(L913.6-ウマ-2007)
 本邦唯一の怪談専門誌「幽」で怪談文学賞短編部門大賞を受賞した表題作を含む、愛媛発の珠玉の怪談集です。
 「るんびに」とは松山市にも実在した「るんびに幼稚園」のことです。園長は寺の住職で、子供たちは墓地にまで入り込んで遊んでいました。園児だった「私」は、この世のものではない少女「久美ちゃん」を目撃しても、まだ怖いという感情を持つことができませんでした。時がたち、るんびに幼稚園がなくなって駐車場になり、園長が住職をしていた寺も無住になり、自分も結婚して子を持つようになってからも「私」は久美ちゃんを怖いとは思っていませんでした。
 しかし、家庭内の不和・悪意と呼応するように、ただ「私」のそばにいるだけだった久美ちゃんが恐ろしいものとして感じられていくようになります。本当に恐ろしいのは久美ちゃんか、家族か、それとも。最後の一行までじわりじわりと効いてくる恐怖譚です。
 他、逃亡犯が老人世帯に孫を装って住み込む「石榴の家」、姉妹の憎悪劇「手袋」、二人の女が語る呪いの話「キリコ」、子供時代の思い出が現在を呑み込んでいく幻想譚「とびだす絵本」が収録されています。
「石榴の家」では主人公・直也の思い出として「お昼に魚市場の近くの食堂で、じゃこ天入りのうどんを食べた。」と語られます。「るんびに幼稚園」は同名の幼稚園が全国に存在しますので愛媛の話とは断定できませんが、「石榴の家」では直也が幼少時過ごしたのは愛媛県であろうと思われます。
 愛媛県の怖い話は、『霊感少女論』(近藤雅樹著 河出書房新社 1997年発行 380.1-34)にも登場します。150ページから187ページで松山大学七不思議について取り上げられています。
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『瓢壺(ひょうこ)の夢』
 高市俊次(たかいちしゅんじ)著 新人物往来社 1987年発行(K913-77)
イラスト
 松山市の日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)の神官で書家の三輪田米山(みわだべいざん)の伝記小説です。趣味人、風流人向けの、あるいは歴史研究家向けのモチーフと思われるかもしれませんが、米山の書は松山付近に今でも石碑などの形で残されており、その豪胆な筆跡を目にした人も多いのではないでしょうか。本書には、幕末から明治への動乱期に鄙(ひな)にあることへの焦りや、家族への深い情愛など、人間味あふれる米山の姿が巧みな語り口で描かれています。そねみやねたみ、愛や情、日々沸き起こる思いを酒とともに飲みくだし、紙の上に吐き出すように筆を揮う。そんな激しい感情の高まりは、天賦の才能に恵まれた芸術家だけが持つものではなく、誰の心にもあるものです。だからこそ、時を経てもなお心を捉えるものが、米山の書にはあるのではないでしょうか。
 米山は書に使う文房具にはあまりこだわりがなかったそうで、依頼主の筆を借りて書くこともあったということです。本書序盤に八丈ほどののぼりに揮毫(きごう)を頼まれる場面があります。依頼主は縁側に立てかけてある棕櫚箒(しゅろぼうき)で書いてくれというのですが、手にとってよく見ると、それは人の髪の毛を芯にして棕櫚毛で包んだ手作りの筆でした。髪の毛は依頼主自身のものでした。その箒を使って書き上げた最後の一文字を、大八車に乗って長く引かせる場面は圧巻です。
 慶応4年、鳥羽・伏見の戦いに敗れ朝敵とされた松山藩に征討のため土佐藩が武装してやって来、城下の役所や寺には「土佐下陣」の貼り紙が。終盤のこの場面は、今話題の『坂の上の雲』第1巻の冒頭部分でも見ることができ、両作品の主役たちが同時期を生きたことが分かります。
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イラスト 『松山百点』〜松山の伝統と文化の再発見〜 
 松山百店会発行
 『松山百点』は、昭和40年に創刊された、由緒ある隔月発行の郷土雑誌です。食事に訪れたお店のカウンターや、書店の片隅で、みかけたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
 創刊号には、狸で有名な趣味人富田狸通(※1)や子規記念博物館初代館長でもあった和田茂樹(※2)なども執筆しています。裏表紙にある松山百店会の案内地図をみると、今も続いている店がたくさんあり、歴史を感じます。
 当時から面白い連載や特集が組まれ、44年から4年間続いた、淡谷のり子の人生相談など、今読み返しても古さを感じることはありません。時代が変わっても人の悩みはいつも同じ、と考えさせられます。
 現在は、創刊当初のB6横版からB6縦版になり、カラーページも増え、さらに充実した内容になっています。長期連載も多く、「ヒーロー列伝 伊予人」では、毎回さまざまな分野で功績を残した人が紹介されています。そのなかには、こんなすばらしい人が愛媛にいたの?と、はじめて知る人もいて、資料としても大変役立ちます。ちなみに、最新号(260号 平成20年6月現在)では、高市次郎(※3)が紹介されています。
 「わたしのつれづれ松山論」では、愛媛出身者だけでなく、松山に縁のある著名人が登場します。ほかにも、「屋号・ロゴマーク物語」、「わしの新聞」、「マッチャマおくにことば」等、楽しく読めるページが満載です。
 図書館では、創刊号から保存していますが、途中数年分が欠号となっています。もしお持ちの方で、寄贈してくださる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。貴重な郷土資料として活用させていただきます。

※1富田狸通(とみたりつう)・・・俳人。狸研究家。著書に、『たぬきざんまい』 狸のれん1964年発行(K388-18)等。
※2和田茂樹(わだしげき)・・・国文学者。子規の研究家。著書に、『子規とその周辺の人々』愛媛文化双書刊行会 1993年発行(H099-SM147-カイ)他多数。
※3高市次郎(たかいちじろう)・・・フレーベル館創業者。キンダーブックを創刊。
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『晩年の秋山好古』 
 片上雅仁(かたかみまさひと)著 瀬戸内印刷 2007年発行(K289-アヨ-2007)
イラスト
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は秋山好古の最期を書いて締めくくっています。晩年は北予中学の校長をしていたことにも触れていますが、詳しくは書かれていません。軍人であった好古がどのような教育者となったのか大変興味深いところです。しかし、この点について詳しく書かれている本は少ないのではないでしょうか。
 北予中学の校長であった好古についてよく分かる本が『晩年の秋山好古』です。平成18年9月から翌年1月にかけて、朝日新聞愛媛版に連載された記事をまとめたものです。好古がどのようないきさつで校長の職を引き受けたのか、どのような態度で仕事に臨んだのか、どのような気持ちで生徒に接したのか、松山ではどのような暮らしぶりだったのか、どのような講話をしたことがあるか、といったことが書かれています。また、北予中学のために尽力した加藤恒忠、新田長次郎についての紹介もあります。著者は北予中学の後身である愛媛県立松山北高等学校に勤務されていたことがあります。そのため、松山北高等学校所蔵の資料の写真なども多く紹介され、好古が北予中学にいた時の様子がよく分かるようになっています。
 このほか軍人としての秋山好古をテーマにしたものに、次のような図書があります。

 『名将秋山好古』 生出寿(おいでひさし)著 光人社(K289-A20)
 『秋山好古』 野村敏雄(のむらとしお)著 PHP研究所(K289-アヨ-2002)
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イラスト 『忘れられた生命−ハンセン病療養所の人々』 
 仲川幸男(なかがわゆきお)著 葉文館出版 2000年発行(K498.6-ナユ-2000)
 ハンセン病はすでに治療方法が確立し、伝染力も非常に低い病気です。しかし、1931年(昭和6年)の「癩(法律名のためそのまま記載)予防法」改定により、全患者の強制隔離政策が始まりました。そして、1996年(平成8年)「らい(法律名のためそのまま記載)予防法の廃止に関する法律」制定まで、患者は強制収容され、作業や他の患者の看護の強要や断種など様々な非人間的な管理体制化に置かれました。
 著者は川柳を通じ、ハンセン病療養所である香川県高松市の大島青松園の人々と交流を始めます。文や電話を交わし訪問して友として接する中で知った元患者達の思いや人生について、投句された川柳や文章を交えながら描きだしていきます。
 彼らの人生の背景を語るため、日本書紀の時代からのハンセン病の歴史についても触れられています。江戸時代に盛んになった四国巡礼ですが、死に場所を求めてめぐり続けるハンセン病患者も多くいました。
 『ハンセン病文学全集 4巻』(大岡信〔ほか〕編集 皓星社 2003年発行)には「遍路」と題された随筆が収録されています(重見一雄著)。大正から昭和期、幼少期に「癩遍路」を接待して、自分もハンセン病に感染し遍路となった方の半生記です。
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『経営の風土学 佐伯勇(さえきいさむ)の生涯
 神崎宣武(かんざきのりたけ)著 河出書房新社 1992年発行(K289-サイ-1992)
イラスト
 佐伯勇(1903―1989年)は、近鉄(近畿日本鉄道株式会社)の社長、会長を務めた人物で、近鉄を日本最大の私鉄にまで成長させた、「近鉄中興の祖」といわれています。プロ野球・近鉄バファローズの名物オーナーとしてご存知の方も多いかと思います。佐伯勇は丹原町(現・西条市)の出身で、1988年には丹原町名誉町民になりました。
 著者は宮本常一の薫陶を受けた民俗学者です。そのため、一般的な経済人の評伝には見られないような独自の視点からの考察が随所でなされています。親戚、友人、同僚、部下、さらには行きつけの料亭の女将といった佐伯を知る人々からの聞き取りを中心に佐伯の人間像を浮き彫りにしていきます。また、本書のタイトルとなっている「経営の風土学」ということでは、大阪の経営的な風土に着目し、商業で得た利益を文化事業に積極的に投じることなどをその特徴として指摘しています。さらに、近代における鉄道産業の発展の背景については、旅の文化が著者の専門分野であるので、詳細な考察が加えられています。
 佐伯の人物像を、その活躍した時代背景、土地柄まで含めて立体的に理解することができる好著です。
 その他にも、佐伯勇に関する図書としては下記のようなものがあります。
『運をつかむ 事業と人生と』 佐伯勇著 実業之日本社 1980年(L335-サイ-1980)
『佐伯勇資料集』 近畿日本鉄道広報室 1992年(K289-サイ-1992)
『君よ日に新たなれ 鉄路を走り続けた男佐伯勇伝』
 軒上泊著 中央公論社 1984年(K289-サイ-1998)
また、西条市丹原町には佐伯記念館があり、佐伯の遺品などが展示されています。

西条市佐伯記念館・郷土資料館
〒791-0508 愛媛県西条市丹原町池田1711番地1 電話:0898-68-4610  
(文中敬称略)
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イラスト 『アメリカの風が吹いた村 〜打瀬船物語〜』
 村川庸子(むらかわようこ)著 財団法人愛媛県文化振興財団 1987年発行(K334-17)
 打瀬船をご存知ですか。長さ15mほどの漁船です。大正時代の頃、この打瀬船で、アメリカを目指して瀬戸内海から太平洋にこぎだした人たちがいます。愛媛みかん「真穴(まあな)」ブランドの産地としても有名な愛媛県八幡浜市真穴地区、穴井の物語です。
 筆者の村川氏は、外務省外交資料館で当時のアメリカでの新聞記事(大正2年、1913)を見つけたことを契機に、穴井に長期滞在し、当時の状況や背景を探っていきます。
 そこでは、明治から昭和初期にかけての日米間での移民をめぐる摩擦といった外交問題や、穴井地区の主力産業が漁業のほか養蚕から縞木綿業そして柑橘栽培へと変遷していく産業動向などが、客観資料に基づき整理されていきます。
 その中で、近隣の人々から「アメリカ村」と呼ばれる穴井の土地柄や、進取の気性や旺盛な好奇心、海辺の村特有の開放性などが、地元の方の言葉等を通じて浮き彫りとなってきます。
 社会変化の激しさは、決して現在だけのものではなく、その中で、翻弄されながらも広く海外にも活路を見いだそうとする県人のエネルギーを感じる1冊です。
 米国の作家スタインベックが、ちょうど同じ時代のアメリカの農民の苦悩を描いた小説に、「怒りの葡萄」があります。砂嵐や資本主義的農業の拡大によりやむなく農地を手放し、東から陸路カリフォルニアを目指す農民たちの物語です。打瀬船が目指した時代のアメリカ国内の状況もわかるノーベル文学賞受賞作家の作品です。
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〒790-8570  松山市一番町4丁目4-2
愛媛県企画振興部地域振興局文化・スポーツ振興課
愛媛県県民総合文化祭実行委員会・愛媛県文化協会
TEL 089-912-2973 089-932-8310 FAX 089-912-2969 
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