兵藤家住宅主屋(ひょうどうけじゅうたくしゅおく)
江戸末期建築(座敷棟)、明治初期増築(住居棟)。兵藤家は中世に水噛(みずかみ)城主(※1)としてこの地に居を構え、江戸期には
庄屋を任された旧家である。
主屋は12畳・8畳・8畳を南北一列に並べ、西・北に縁を廻らせた入母屋造の座敷棟と、8畳3室と土間等から構成される入母屋造の住
居棟が雁行形(がんこうけい)(※2)に配置される。座敷棟の2間幅の式台(※3)や座敷飾りなどが当家の格式を今に伝える。
※1 水上城とも表記される。建久年間(1190〜1199)から天正13(1585)年の秀吉の四国平定頃までの兵藤氏の居城。
※2 雁が飛ぶときの列の形のように斜めに並んでいること。
※3 玄関の上がり口の板敷部分。武家の住宅などにみられる。