私の教育実践


 私の教育実践ーこれまでの勤務を振り返ってー
県立八幡浜高等学校 校長 清家 信孝  
 

 私の教育実践ー「ぎょしょく」ってたのしいねー
愛南町立あいなん幼稚園 主任 田村 年子  



私の教育実践ーこれまでの勤務を振り返ってー
県立八幡浜高等学校 校長 清家 信孝

「世の中で一番楽しく立派なことは、一生を貫く仕事を持つことです。」
 福沢諭吉の言葉と言われている「心訓」の一つが、ここに来てしみじみと胸に迫ります。
 一生を貫いたとは言えないものの、定年退職を迎える今、振り返れば、実に思い出深い37年でした。
 これまでの勤務が立派なものだったとは決して思えませんが、楽しく仕事に当たることができたことには満足しています。それもこれも、未熟な私をお支えいただき、御指導いただいた、県教育委員会、多くの先生方、地域の方々のお陰だと心から感謝申し上げる次第です。

 教員採用試験での面接の際、「赴任先の希望はありますか?」との問いに、「いえ、どこへでも参ります。」と元気よく応えましたが、ひょっとしたら、この気合いだけで評価されたのではないか、とも思っています。「元気」だけは、誰にも負けません。大きな病欠の記憶もありません。

 数々の学校に勤務させていただきましたが、異動に関しては天命に従うのみでした。生徒たちとの運命的な出会いと信じればこそやりがいもあり、その出会いと別れがより鮮烈な印象として残ります。また、結果、終生変わることのない人間愛や地域愛に恵まれることとなります。
 
 ある高校に赴任した時、後に仲人をすることになる男子生徒が、こういいました。「先生、こんな学校に来とうはなかったんやろ?」と。衝撃が走りました。「なんということを言う、いや、言わせる学校なんだろう。」むくむくとやる気が湧いてきたものでした。若い教員が多く、皆、赴任地で起居していたこともプラスに作用しました。夜遅くまで教育談義に没頭したり、地域の行事に進んで参加したりと、それが教職員同士の結束力を生み、生き生きした教育実践につながったと思います。学校が変わったかどうかはともかく、活力のある現場となっていったと思います。

  中予の新鋭校での勤務も、ずいぶんと貴重な経験でした。学校経営に強いリーダーシップをお持ちの素晴らしい校長先生の下で、気鋭の先生方が持てる力を存分に発揮して、進学や部活動に大きな成果を生みました。生徒をリードするそれぞれの先生のパワーとスキルはそれはもう桁違いで、今でこそ褒められないかもしれませんが、夜遅くまでとことん業務に当たるため、皆帰宅が遅くなり、校舎は「不夜城」とも呼ばれていました。個性豊かなそれぞれの先生方のプライドが火花を散らし、いい意味での競争意識が輝く充実した現場であったように思います。卒業後、教員を目指す生徒が多かったのもうなずけました。

 その後10年、母校に勤務することになりました。OBとしての勤務は、また違った緊張感があり、やりがいがありました。過去の剛直な精神性に翳りが感じられ、応援団の充実を図り、応援歌も復活させました。新規な思い付きは集団においては時として敬遠されることもありますが、明確な目的の下での取組が了解されれば、組織に新鮮な風穴を空け、新たな活力の源ともなります。

 それが校長として勤務した三校での「スタンドプレー」にもつながりました。毎朝1時間、校門に立ち、登校してくる生徒たちを迎え入れる朝の挨拶は、全くの「スタンドプレー」です。はじめは奇異に見られた行動も、半年・1年と続けば、一つの風景となり、対生徒のみならず、地域の人々とのコミュニケーションの手段ともなりました。「挨拶から対話へ」。私が行った、形を伴う唯一の継続的教育実践と言えるかもしれません。「礼」は「仁」の表出とも言われます。形からのスタートが豊かな心として結実することはよくあることで、その意味では、「虚礼」も「礼」と言えます。なにやら禅問答のようです。

 まとまりのない内容となりましたが、定年退職という節目を迎え、振り返って思い付くことをいくつか綴ってみました。
 改めて、過去37年を総括すると、満足とともに後悔があるのも事実です。ですから、もし、20代の若い頃にタイムスリップしたら、やはり一教員から再出発するのだろうかと自らに問いかけています。
 ともあれひとまずの幕引きですが、「先生」という肩書きは一生付いて回るのでしょうから、晩節を汚さないように自覚して生きていきます。

お世話になった多くの皆様にお礼申し上げ、拙文を閉じます。
ありがとうございました。



私の教育実践ー「ぎょしょく」ってたのしいねー
愛南町立あいなん幼稚園 主任 田村 年子

 本園が初めてぎょしょく教育にかかわったのは、2006年に幼小関連教育の一貫として地域の小学校とともに参加したのが始まりでした。しかし、その後は、なかなか機会を得ることができず、実践には至っておりませんでしたが、昨年度より年間計画の中に位置づけ、計画的に取り組むことになりました。

 愛南町では、「ぎょしょく」を「魚食」ではなく、あえて、ひらがなで表記するのは、魚の生産から消費、さらには生活文化までを含む幅広い内容を含めるために「ぎょしょく」としています。
ぎょしょく教育には、7つの「ぎょしょく」の概念がこめられていて、①魚触・・魚にさわる ②魚色・・魚の特色 ③魚職・・とる漁業 ④魚殖・・そだてる漁業 ⑤魚飾・・魚の伝統文化 ⑥魚植・・魚をめぐる環境 ⑦魚食・・魚の味という一連のプロセスを経て系統的に学習します。

 本園では、昨年度最初の取り組みとして ①の魚触、魚に触れる体験学習を主に取り組みました。まずは、遊びを通して魚と触れ合うことからです。保育室には大きな大漁船を設定し、一本釣り遊びに挑戦です。ねじり鉢巻きにかっぱ (エプロン)姿も決まって、いざ出漁。釣竿を投げて、床にちりばめられたいろいろな魚が釣れると、歓声が上がり大賑わいでした。みんなで釣り上げた魚の名前や特徴を遊びながら楽しく知る機会にもなりました。そのあと、実際に本物の魚に触って見たり臭いを嗅いだりして、感覚を通していろいろな魚の理解を深めていくことができました。また、カツオの解体見学では、興味のある保護者も参加しました。丸ごと一匹のカツオが捌かれていく姿に、みんな興味津津で目を凝らし、感心しながら見入っていました。子供たちに、魚に触れる機会を設け、少しでも魚に対する興味や関心、親近感が得られるような環境をつくっていくことが大切であると改めて感じました。

 今年度は2回目として6月に実施しました。あくまでも幼児対象ですので ①の魚触を中心に、触れる体験学習から少し広がりのあるものとして、魚の調理実習も取り入れ保護者とともに取り組むことにしました。触れる体験では、前回に比べると、水揚げされ持ち込まれた魚の種類は豊富で、普段目にすることがないようなサメまでいました。子供たちは目を輝かせて触ったり歓声を上げたりして、全身で感触を楽しんでいました。
 その間、保護者は、ゲストティーチャーから鯛のおろし方やアジの三枚おろしの指導を受け調理実習し、すり身づくりにも挑戦しました。
 その後は、本日のメインである親子で「ジャコカツバーガーを作ろう」です。ジャコカツは、在園児の保護者の店から購入し、揚げるだけにしました。思い思いにパンの中に野菜や揚げたてのジャコカツをはさみ、好みのソースをかけて作っていきました。鯛のすまし汁や鯛で作ったジャコ天もあります。部屋中においしそうな匂いが漂い、おなかもすいてきました。元気のいい「いただきます」の声とともに会食です。「おいしい」「さくさくしていい味」「カレー味もおいしいね」一つでは足らず、次々とおかわりをして作っていく親子の姿。鯛のおすましもおいしいこと、さすがいい出汁がでています。魚が新鮮だと生臭さもないので食べやすいようです。ジャコカツバーガー作りも大成功。おいしくて手軽にできるので、家でもぜひ作ってみたいという声や魚料理への関心をもつ声が聴かれました。

 こうして2か年のぎょしょく教育を振り返ると、まだ「魚触」という体験のみの入り口に過ぎませんが、子供たちや保護者の方の新鮮な驚きや生き生きとした表情、興味・関心をもった熱い視線や声を聴くと、今後も継続して取り組まなければならないと感じます。ぎょしょく教育を普及させるため、地域の人々が互いに連携・協力してネットワークを作り頑張っています。「ぎょしょく教育」という目的を共有することで、地域の人々のつながりはさらに深まっています。


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