私の教育実践


私の教育実践―緑の海原はじける笑顔―
松山市立三津浜幼稚園 教頭 沖田 育子
私の教育実践―子どもは宝―
県立今治西高等学校 校長 大西 好幸



私の教育実践-緑の海原はじける笑顔-
松山市立三津浜幼稚園 教頭 沖田 育子

 

 私の勤務する三津浜幼稚園は、昭和5年に開園された85年の歴史をもつ幼稚園です。 
 
 平成24年6月16日に植えた芝生が柔らかな緑の海原となり、保護者と一緒に登園する子どもたちを優しく迎えています。園庭を芝生化したことで、園生活がより豊かで楽しいものになっています。
   
 天気のいい日は毎日、子どもたちが裸足になって園庭にとび出します。思い切り走ったり、転げ回ったり、ハイハイをしたり、側転に挑戦したりして、全身で柔らかな芝生の感触を楽しんでいます。毎日のように繰り返されている鬼ごっこは、友達と相談し合ってルールを決め、より楽しい遊びへと展開しています。遊びの中で起こるトラブルを自分たちで解決しようと芝生の上に座って話し合う姿も見られます。芝生の柔らかさは、互いに思いをぶつけ合う子どもたちの心のクッションにもなっています。大型ボールの上に立ったり飛び降りたり、ホッピングボールで友達と競い合ったり、一輪車や竹馬、ホッピングに挑戦したりしています。始めは少し怖がっていた子どもも、楽しそうな友達の姿にひかれてチャレンジしています。転んでも痛くない芝生は安心して活動でき、子どもたちのよりダイナミックな動きを引き出しています。全身を使った運動遊びを経験することで、体を動かす楽しさや、友達と一緒に夢中になって遊ぶ楽しさを十分に味わうとともに、運動感覚や多様な動きを身に付けることができています。

 また、保育後13301430時間実施している「親子ふれあいコミュニティ広場」の時間にも、親子で芝生の上での遊びを楽しんでいます。芝生の心地よさは、保護者間の穏やかな交流を生み出す一助ともなっています。

 夏季休業中も園庭を開放しています。在園児親子をはじめ、卒園児、近所の未就園児が集まり、遊具で遊んだりセミ採りをしたり、畑にできた夏野菜を収穫したり、飼育小屋でウサギの餌やりをしたりして過ごしています。猛暑の夏でも、芝生のある園庭は、親子で涼しく過ごせる地域の憩いの場となっています。

 園庭開放の時間を利用して芝刈りを行います。子どもたちは楽しく遊びながら、お母さんたちはシェイプアップも兼ねて、時々お手伝いしてくださるお父さんたちは、汗をいっぱいかきながら、手動式芝刈り機を使って伸びた芝をきれいに整えます。芝刈りが親子の楽しい触れ合いの場となっています。

今、芝生は冬の寒さに耐えながらじっと暖かい春の到来を待っています。

 表面は茶色に枯れて寂しげですが、触れてみると、しっかりはった根っ子の弾力を感じます。しばらくすると、じんわりとした暖かさが伝わり、力強い生命力を感じます。

 来年度より『子ども・子育て新制度』が施行され、幼稚園の制度改革が行われることになります。この制度や時代の変化に対応しながらも、子どもたちの根っ子をしっかりと育てるために、幼児期の教育とはどうあるべきかを考え、子どもの立場に立った「子育ち」を目指して努力し続けよう思います。



私の教育実践ー子どもは宝ー
県立今治西高等学校 校長 大西 好幸


 銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも       
 『万葉集』山上憶良

 新採研修の折、県教委の方から「親にとって子は宝もの」というお話を聴き、爾来、この言葉を胸に教職に携わってきました。新採の頃は、教えることだけで精一杯でしたが、生徒によって教師に育てられました。やがて、生徒は社会にとっても宝ものだと実感するようになってきました。生徒には、無限の可能性があります。未来を切り拓いていく素晴らしい力があります。学校教育の場で、多感で可能性に満ちた彼らと関われることの喜びと責任感はたとえようもなく大きなものでした。

 校務分掌は、主に進路指導を担当しました。松山商業高校では、新設校のⅠ期生卒業年とも重なり、受験結果が大変厳しいものとなりました。受験の厳しさ、進路保障の大切さを痛感しました。丹原高校では、桜三里を越え、往復60キロの道のりを早朝補習に励みました。12年間も頑張れたのは、純朴な生徒の後押しがあったからでした。毎日欠かさず、教室に花を飾ってくれた生徒もいました。松山南高校では、学校完全5日制への移行に伴い、学力・進路保障の観点から土曜特別講座を実現させました。生徒・教職員・保護者の皆様の力強い連携の賜物でした。また、扇風機の設置や愛媛大学との高大連携、大手予備校のスーパー講師による受験講座等やれることはすべてやったように思います。この頃の私には、大学受験における「私学の台頭」と「公立校の黄昏」が強烈に意識されていました。

 高校野球とも御縁をいただきました。松山商業高校では、甲子園に夏3回、春1回、丹原高校では、夏1回、今治西高校では、春2回の応援に恵まれました。高校野球をとおして脈々と受け継がれている精神や生徒の持つ力のすばらしさを震えるほど体験しました。昭和59年夏の大会ベスト8(松商:酒井対PL学園:桑田)と昭和61年夏の大会準優勝(松商:藤岡対天理:本橋)は圧巻でした。彼らの集中力、チャレンジ精神、執念には学ぶことが多くありました。

 今、改めて振り返ってみますと、37年間の教員生活を全うできたのは、教職員や保護者の皆さん、地域の皆様の御支援があってのことは言うまでもありませんが、一番は生徒のおかげです。生徒に向き合い、ともに悩み、苦しみ、喜んだことが私を一人の教師、人間に育て上げてくれました。私の教員生活の中で出会ったすべての皆様方に心からお礼を申し上げ、この拙文を閉じます。ありがとうございました。