愛媛県史にみる愛媛文化史(〜昭和)
書    道
出典:愛媛県史 芸術・文化財(S.61.1.31発行)
「概説」より(抜粋)

<書道>
 書の歴史、日本の書から、伊予八藩の書が、しだいに書芸術として発展してきた経過をたどりうるように、近世以後、現代に至るまで、100余名の学者・僧侶・文人・俳人など物故者を時代順に配列し業績を記した。

 
とくに、良寛・寂厳とともに三名筆と称された明月、明治の三輪田米山は著名であり、河東碧梧桐の自在境は、新しい書風の契機となっている。・・・(P.4)

「第5章 書道」より(抜粋)
江戸期  書は君与の芸として教養のために精進したので各藩主も愛好し能筆も多く各藩に名手が出て尊敬の的になった。

 寛政の三博士尾藤二洲は昌平学教授であり能書家として尊敬され、門人近藤篤山は小松藩主に仕え伊予の聖人と讃えられたが、その書は高潔で風格すぐれた名筆である。

 宇和島藩主伊達宗紀(春山)・大洲藩主加藤泰恒の六男泰都は文麗と号してそれぞれ書画を愛好、大洲藩士中江藤樹は若年ながら品格すぐれた書に後年の大成をうかがうことが出来る。如法寺の磐珪禅師も傑僧の風格を示している。

 松山藩で徳川親藩としての松平家(久松家)は代々書を愛し、能筆であり、藩内に多くの名筆家を出している。

 僧明月、藩士伊藤子礼、僧西山蔵山の三名筆があり、藩校主任教授日下伯巌あり、高縄泉岳寺門額の書者大野約庵あり、伯巌門下に武知五友や三輪田米山・高房・元綱の三兄弟はそれぞれ能筆である。

 なお俳人栗田樗堂・武知五友に開眼された正岡子規一門の柳原極堂・内藤鳴雪・高浜虚子・下村為山・河東碧梧桐・五百木瓢亭らは中村不折らと新傾向の個性豊かな名筆を残して現代に続いている。・・・(P.415)
戦後  昭和20年の敗戦後、現代書の先駆者比田井来天門下の俊英上田桑鳩・手島右卿・桑原翠邦が真鍋士鴻・沢田大暁・生口万象の招きにより、関西派の炭山南木・村上三島が内田東水・河野如風により来県、愛媛の書道界は現代書・古典書ともに全国レベルに達する動機を作った。

 今治在住の織田子青は漢字・仮名の能書家として書神会長として多くの後輩を育てた。仮名書道は関西派の内田鶴雲、関東派比田井小琴派が伝えられた。・・・
 
 
終戦後、書も他の部門とともにいち早く愛媛県美術会を結成、道後公園内で展覧会を開き、高松宮の臨場を迎えた。

 その後松山市内の会場を借りて毎年展覧会を行ったが、会の改革の必要性に迫られて各部幹部の会合を重ね、美術協会を解散して愛媛美術会を結成、・・・年2回の県展の外各グループ展、個展で会館は常に満杯の盛況である。・・・(P.416)
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