1 区分(種別)
無形文化財(芸能)
2 名 称
大洲神伝流泳法
3 保持者(保持団体)
大洲神伝流保存会
代表者 今井 要
所在地 大洲市大洲
※技術保持者は、保存会員のうち(財)日本水泳連盟の資格を有する16名
4 概 要
古式泳法は、武術の一つの水練術として発展してきたもので、現在、全国に12の古式泳法が伝承されている。大洲神伝流は、390余年の長い歴史を持ち、県内に伝承される唯一の古式泳法である。また全国の古式泳法の中でも最も普及した泳法で、大洲から松山へ移され、その後、岡山・広島・兵庫・東京等へ広く伝わっている。近代泳法が普及する中、大洲神伝流は、その発祥地で独特の泳法を守り伝承している。
神伝流は、扇足(あおりあし)を特徴とする泳ぎで、真(しん)・行(ぎょう)・草(そう)の游方(およぎかた)を基本とする。これを水上・水中・水底で使い、泳ぎ分けるので三段九位の游方となる。この他に応用泳法もあり、多くの泳法があるが、大きく次のように分類されている。
(1) 正式游形 (2) 水上游泳術 (3)水中游泳術
(4) 水泳武術 (5) 水泳飛術 (6)水泳雑技
5 由来・沿革
神伝流泳法は、元和3年(1617)頃、米子藩から伊予大津(大洲)藩の初代藩主となった加藤貞泰の従兄弟にあたる重臣加藤主馬光尚(しゅめみつなお)(1617〜20在藩)によって肱川で創始された泳法であるといわれ、「神伝主馬流(しんでんしゅめりゅう)」と称されてきた。
神伝主馬流は、第2世岡如柳斎吉英(おかじょりゅうさいよしひで)によって更に組織化されたと伝えられているが、その後第3世蓑島太兵衛正直(みのしまたへいまさなお)、第4世彦之丞札政(さねまさ)、第5世太兵衛宜睦(のぶちか)、第6世太兵衛正利、第7世正近、第8世正意(まさもと)と、明治維新まで約240年の間、代々蓑島家によって継承されてきた。
その後、神伝流の中心は大洲藩から次第に松山藩へ移り、また近代泳法の普及により大洲における神伝流は停滞するが、大洲神伝流水泳協会(大正12年創設)、大洲水泳協会(昭和29年)を経て、現在の大洲神伝流保存会(昭和60年創設)へ受け継がれている。
なお、松山藩に伝えられた神伝流は、太平洋戦争によってその活動を中断したまま現在に至っている。