1 区 分
有形文化財(歴史資料)
2 名 称
目黒山形模型及び関係資料 274点
3 所在地
北宇和郡松野町大字目黒648番地2(町立目黒ふるさと館)
4 所有者
建徳寺(松野町大字目黒594番地)
5 概 要
目黒山形模型は、伊予国宇和郡目黒村(吉田領。現松野町目黒。)と同郡二郎丸村(宇和島領。現松野町豊岡。)の山境争いの中で、目黒村が幕府評定所に提出の資料の一つとして寛文5年(1665年)に作製されたものである。また、関係資料である敷絵図、幕府裁許絵図、建徳寺文書が一括して保管されている。
模型は敷絵図と一体、縦190.0p×横262.1p、材に銀杏を使用し、6つの部分から構成。裏面をくり貫き軽量化を図っている。接合面には突起物があり、確実に密着する工夫が凝らされている。材の表面には、胡粉を塗り彩色面を作製しその上から彩色している。表面には、胡粉による書込、貼札が有り、裏面には管理、製作のための墨書の番号が見られる。取っ手や穴も掘られており、割れ防止のかすがいなどもある。
縮尺は、分縮帳、模型上の計測より5900分の1と考えられる。
幕府裁許絵図は、境界を書き込んだ絵図とその裏に記述された裁許状のことで、幕府が寛文5年(1665年)に裁許を申し渡したおりに、目黒村、二郎丸村に渡したものだが、現在は、目黒村の分しか残っていない。この絵図は、大切に扱われ、その後の山境争いにおいても、効力を持ち続けた。
関係資料は、全体で268点の資料群で文書と絵図で構成されており、山境争い等の資料原本も多く残っている。
6 特 徴
目黒山形模型は、関係資料と一括して保存されており、非常に貴重な資料である。特に、模型と敷絵図、裁許後の模型、関係資料の取り扱い等の記録が残っていることは他に類をみない得難い資料といえる。更に、これらの資料群は、江戸初期の絵図作成や測量技術、山境争いの実体を解明できるものであり、価値の高い文化財といえる。
|
|