穂積橋(ほづみばし)

 穂積陳重(のぶしげ)(安政2年〈1856〉−大正15年〈1926〉)は宇和島藩士穂積重樹(しげき)の次男として生まれた。日本初の法学博士,民法・戸籍法の編纂に尽力した。晩年には枢密院議長を務め,男爵となった。郷土愛も強く,宇和島市政や教育にも寄与,郷党(ごうとう)の敬慕の的であった。著書に『隠居論』『法窓夜話』『法律進化論』等があり,「法学の祖」「民法の父」と言われた。宇和島市民は氏の功績を記念すべく,銅像の建立を申し出るが,「老生(ろうせい)は銅像にて同郷萬人(どうきょうばんにん)に仰視(あおぎみ)らるゝよりは 橋となって公衆に履(ふ)んで渡らるゝを以て無上の光栄とす」と固辞。氏の没後,木橋であった二級河川辰野川の本開橋(ほんかいばし)の架け替えの際,県の許可を得て,市が「穂積橋」と命名したものである。欄干親柱(おやばしら)の名称板に「穂積橋」,「ほつみはし」とあり,また「昭和五年二月架設」とある。現在の穂積橋はRC桁橋で,長さ9.1m,総幅員7.9m,欄干の高さ0.9mを測る。
 その北東に隣接する小公園は,市民有志から寄贈を受けた石碑の設置場所として,平成4年に宇和島市が開設したものである。穂積橋と小公園を登録記念物に登録し,穂積陳重の人柄と業績を偲び,後世に伝えるものである。

   
         【穂積橋】                  【穂積陳重】

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