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命の輝きを求めて |
愛媛県立しげのぶ特別支援学校長 西原 昇次 |
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教師の問いかけに目を輝かせて視線を動かす子どもたち、にっこりと微笑んでくる子どもたちの最高の笑顔、命の輝き、これこそ私の教育実践の宝物である。
私が勤務する愛媛県立しげのぶ特別支援学校は、愛媛県立子ども療育センターに隣接している。子ども療育センターが、障害のある子どもたちの福祉・医療機関として、その命を守り育てる拠点施設なら、本校はどんなに障害の重い子どもたちの命も輝かせ、夢のある未来を構築する教育機関である。私の尊敬する先輩が特別支援教育は教育の原点、すなわちオーダーメイドの教育だと、レストランの例え話をしながら、一人一人のニーズに応じた教育の重要性について語られる。人間が人間の成長発達を保障し、過去から現在、そして未来へと続く文化の伝承者として、子どもたちをはぐくむ教育の営み、その本質として、一人一人の子どもの障害や発達の状態に最も適した料理の献立(教育内容)や調理方法(教育方法)が要求される。オーダーメイドの教育で、子どもたち一人一人の命を輝かせることができれば、どんなに障害が重くても子どもたちはすべてダイヤモンドの原石、磨けば必ずそのすばらしい個性の輝きを自ら放つことだろう。
私は理科の教師として、昭和62年から、病弱児を対象とした愛媛県立第二養護学校に勤めた。病弱児の中には、自ら生命の危機を感じたことのある子や、度重なる入院のため、健康への不安や苛立ちを抱え、心理面でのサポートを必要とする子どもたちが多くいた。そのような子どもたちと生命について、共に考え、感じることのできる授業として、ブタの解剖の時間を設定した。人間の体や命について教えるのにカエルや魚の解剖では難しい。そうだ、牛は高級だが、ブタならなんとかなるかもしれない。このように考えて取り組んだのがブタの解剖である。ブタの頭骨、心臓、胃、小腸などを食肉工場から分けてもらい、ほ乳類の体を直接観察した。
授業の始まり、豚の頭骨や内臓を見て、歓声とも悲鳴とも聞こえる子どもたちの声を皮切りに、生命の神秘、一つしかない命の尊さ、自分たちが食している動物や植物のこと、命を支える命などについて、私の説明を聞いた後、まずは内臓諸器官の観察、そして、いよいよ頭骨を二つに割って脳を取り出すブタの解剖が始まる。頭蓋骨を切るのにメスやハサミは不要、ノコとノミを使ってかなりの力がいる。子どもたちは頭蓋骨の厚さと堅さにびっくり、こんなに堅い頭蓋骨だからこそ、大切な脳を守ることができるんだと実感する。脳と眼球はかなり太い視神経でつながっていて、脳を取り出そうとすると、眼球が頭蓋骨のくぼみに引っかかってうまく取り出せない。慎重にメスとはさみを使って視神経を脳から切り離すと、やっと脳のお出まし、みんなそれまでの苦労もあって、これが思考や行動の源、脳なのだと不思議な感覚にとらわれる。
そして最後に眼球の解剖、ブタの眼球はちょうどピンポン球の大きさ、中を傷つけないようにメスとはさみで慎重に二つに割ってみる。中から透明なガラス体と水晶体(レンズ)、そして真っ黒な網膜、神秘的なその姿から、「うわー、すごくきれい」と感激の一声を漏らす子どもたち、感動が子どもたちを包み込む。心を大きく揺さぶられた子どもたちの目が、感動で輝いているのが手に取るようにわかり、私もいささか興奮気味になる。こんなに堅い頭蓋骨や柔らかい脳、筋肉の固まりである心臓、精密カメラのような眼球、すべてが一つの卵細胞からスタートした私たちの生命と身体、そんな感動を胸に命そのものと向き合った子どもたち自身の命の輝きが、病気を克服していくような気がした。子どもたちの命の輝きを身近に感じること、それが授業、教育だと思う。
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小中一貫教育 コミュニケーション能力の育成のために |
四国中央市立新宮小中学校 教諭 永尾 周三 |
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私の教育実践というテーマを与えられましたが、私のというより私たち新宮小中学校の教育実践ということで小中一貫教育についての取組を紹介させていただきます。
新宮地域は、四国中央市の南東部に位置する高地に位置しており、香り日本一と称される新宮茶が育つ豊かな自然と四国の要衝としての歴史をもつ地域です。
本校は平成19年に特区申請により小学校2校、中学校1校が統合され、愛媛県下初の小中一貫教育校「四国中央市立新宮小中学校(総称)」となりました。
開校前は「小学生と中学生が一緒に同じ校舎で生活するというのは、どんな感じだろう?」とか「お互いの行事はどうなる?」といった不安の声ばかり。おまけに校舎のいたるところでは小学校2校からやってきた備品で溢れかえっている。この年に着任された先生方は着任の日からジャージに着替え、片付けに追われる日々となりました。
「小中一貫教育校…」と、一番悩んだのは、やはり私たち教職員です。前年度まではこうだった、という考えの枠を一つ一つ外していかなければいけません。また、小学生はこうだ、中学校はこうしていた…と相談しなくてもわかっていた暗黙の了解の部分まで、互いに言葉にして、共通理解を図らなければならない。ただ、そんな状況においても分からないことばっかりなので、とりあえずやってみようという先生方の心の太さ(図太さ)にずいぶん助けられました。
小中一貫教育校としての取組は沢山あります。その中でも教育特区ということで新設されたコミュニケーション科(呼称「やまびこ」)について紹介したいと思います。
本校の児童生徒は明るくまじめで、何事にも一生懸命取り組むことができ、豊かな自然と地域の方々の温かい支えのもと、児童生徒は安心して地域・学校での生活を送ることができています。しかし、一方では幼稚園の時からほとんど変わることのない固定化された小集団の中で育っているため、自分の考えを積極的に相手に伝えたり、自分からコミュニケーションをとったりすることを苦手としている児童生徒が多いように思います。また、多様なものの見方や考え方ができにくく、自ら課題解決をしたり、最後まで粘り強く取り組んだりする意欲にやや乏しい面が見られます。このような実態から、年間35時間のコミュニケーション科を設置しました。その中で、20時間は英会話、15時間は読書や読み聞かせ、全校集会活動(全校やまびこ)を実施し、全体的な語彙力やコミュニケーション能力の伸長をねらいとしました。
英語を用いたコミュニケーションには、母国語でない分、表情や身振りなど、自分のもつあらゆる表現手段を駆使して伝えようとするおもしろさがあります。そこで、担任はALTと相談しながら、スキル獲得よりも自ら楽しく人とかかわろうとする場をつくることを重視して、授業を組み立てました。また、主に、チャンツやゲームなど英語に親しむ場と、買い物ごっこなど意味のあるやりとりで英語に慣れる場と、二つの学習を組み合わせながら自然に英語でコミュニケーションを図れるよう工夫しました。
日本語によるコミュニケーションでは、エンカウンターや対話力アップのワークを用いて、テーマに沿って自分の考えを詳しく話したり、相手の話を受容的に聞いたりしました。また、自分の意見を適切に伝えたり、情報をもたない相手に正しく伝えたりするなど、言葉で伝える様々な場を設定しました。
また、「全校やまびこ」の英会話では、『ハロウィン集会』で、色や果物など知っている言葉を使って、キャンディをもらったりあいさつをしたり、『クリスマス集会』において、やはり英語を使ってのツリーを作ったりしました。また、日本語会話では『さいころトーキング』で、1年生から9年生までのたてわり班に分かれ、普段とちがう異年齢集団で、ほんの少しの緊張感を乗り越えながら、与えられたテーマで自分のことを語ることができました。
初めてづくしのコミュニケーション科でしたが、やはりそこには先生方の影の努力なしには語れません。連日のようにさまざまな資料と格闘しながら、構成的グループエンカウンターや対話力アップのワークに挑戦。「アサーション?ワークショップとどうちがう?」などと疑問もたくさん出てくる中で、とにかく、『とりあえず、やってみよう』の心意気。夏休みには講師を招いて、特別支援教育&エンカウンターの職員研修会を持ちました。暑い中、童心に返って運動場を駆けめぐる先生方の姿に拍手。日本語表現力を育成するコミュニケーション科の授業を互いに公開し合い、ともに力を合わせて新境地を開こうと頑張っている姿がありました。英語科&英会話も然り。JET(日本人英語科教員)とALT(外国人英語指導助手)がいるとはいえ、小学校英語では学級担任のフォローが欠かせません。ましてやコミュニケーション科の英会話は学級担任が主になります。そこで、一学期はJETとALTの授業を参観して学び、夏休みにはクラスルームイングリッシュを研修しました。そして二学期から、ALTと学級担任の二人三脚で英会話の授業を行っていきました。言うまでもなく、英会話はオーバーアクション、コミュニケーションしようとする意欲や表情が大事。「先生、とうとう壊れた…?」といぶかしげな児童生徒の表情を横目に、やや赤面しながら、あふれる笑顔で「Good morning! How are you?」と必死で英会話コミュニケーションをはかる担任の姿がそこにありました。
他にも、互いに公開授業をしたり、中学部専科担任が小学部の授業を受け持ったりしながら、共通理解が進んできました。私を含め中学部教員は、小学部教員の丁寧さ、学習への興味・関心のもたせ方に驚きました。小学部教員は、中学部教員の、生徒の自主性を重んじた言葉かけや、専門性を生かした授業展開に学ぶところが多かったようです。
新宮小中学校の教育活動のごく一部を紹介しましたが、これらの取組のベースには小学部、中学部の教師間の意志の疎通、児童と生徒の交流なくしては語れないと思います。小・中学部の教師が同じ職員室に集い、そこで交わされる何気ない一言が時に大きなものに変わっていくものです。また、児童と生徒が年数回、同じ教室で給食を食べたり、小学部の授業に中学部の生徒が参加したり、昼休みに一つのボールを追いかける児童生徒の姿にこそ小中一貫教育の意義を感じることが多いです。今後、更に小中間の連携を深め、一段階進んだ教育を推進していきたいと考えています。
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