私の教育実践

笑顔あふれる性に関する教育
〜WYSHプロジェクトの実践を通して〜

大洲市立平小学校 教諭 祖毋井 規子

生徒に恵まれて今日まで
松山南高等学校 校長 上田 耕三
笑顔あふれる性に関する教育
〜WYSHプロジェクトの実践を通して〜

大洲市立平小学校 教諭 祖毋井規子

大洲市立平小学校 教諭 祖毋井規子1 WYSHプロジェクト(性教育から生教育へ)との出会い

 昨年の夏休み、京都大学で行われたWYSHプロジェクト研修会に参加しました。全国各地から集まった先生方と熱い一日を過ごしました。
 WYSHプロジェクトは文部科学省主催の「性に関する教育」普及推進事業全国連絡協議会(集団教育プロジェクト)と厚生労働省主催の「全国科学エイズ予防教育研修プログラム」(保健室プロジェクト)との連携プロジェクトです。
 WYSHプロジェクトは私にとって、とても衝撃的でした。それは今まで私が体験したことのない授業でした。授業前半はうつむいていた子どもたちの顔が少しずつ前を向き、おしゃべりをしていた子どもたちがしんとなる、教科の枠を超えた授業展開、そして何より子どもたちの瞳がきらきらと輝いていたからです。子どもたちの生き方についてまで考えさせるこのプロジェクトを私も是非とも実践してみたいと思いました。

2 WYSHプロジェクトの実践〜大洲市立平小学校4年生〜

 WYSHプロジェクトを実施する上で、「大人になることを肯定的にとらえさせる」「ポジティブ感の強い第二次性徴を明るい授業で伝える」の2点に留意しながら、「夢にむかってはばたこう」の総合単元を全4時間で下記のように構成しました。

【総合単元「夢にむかってはばたこう」<単元目標>】
○ 大人と子どもは体だけでなく、能力的な違いがあることを理解する。
○ 第二次性徴(男子と女子の違い)や個人差があることを理解する。
○ お互いの違いを認め合い、大人になることへの期待感と夢を広げる。

3 児童の変容と考察

児童の感想

  • 私は大人になるのは少しこわいような楽しみなような気がします。大人になるとたくさんのことをしないといけないと思います。
  • ぼくは、大人になるためには、心の成長やかしこさが必要だということがわかってよかったです。
  • 大人になるのが楽しみだったけど、今日のメッセージビデオを見てもっと楽しみになりました。私も今日のビデオに出ていたすてきなかがやく大人のように早くなりたいです。でも、今も楽しいです。
  • 私たちが見てないところで大人はすごくがんばっていることがわかりました。私も輝く大人になりたいです。

WYSHプロジェクトの授業後のアンケートからも、第二次性徴に対し「気持ち悪かった」というネガティブな感想をもった児童は、両クラスを通じ全国平均(約半数)よりかなり少ない5%(3名)でした。また、授業を通して「今の自分のままでよい」「自分を大切にする」という自己肯定感が向上しました。
 授業後に行った学級満足度調査では、「みんなから認められたい」と感じている非承認群の児童が8名(4月)から1名に減少し、学級生活満足群の児童が増加していました。非言語のコミュニケーションやグループワークなどを通して児童相互に温かい人間関係が生まれてきたためだと考えます。
 体の発育の早い児童やゆっくりな児童によって、不安や悩みの要因は多種多様です。また、各学校により児童の実態や地域の特性などが異なります。WYSHプロジェクトは有効ではありますが、あくまでひとつの手法でありすべての児童にとって有益で万能の方式ではありません。教師自身が熱意をもって、思春期の入口にいる児童にとって大人になることが楽しみになるように、今後とも取り組んでいきたいと思います。そのためには地域や児童の実態をしっかりと把握し家庭と連携しながら、工夫改善を加えていく必要があります。そして、今後も個別指導や教育相談などにより、一人一人の不安や悩みに個別に寄り添っていき、笑顔あふれる性に関する教育を展開していきたいです。

生徒に恵まれて今日まで
松山南高等学校 校長 上田 耕三

松山南高等学校校長 上田 耕三 私は、現在、愛媛県高等学校文化連盟放送部会長をつとめています。放送部との関わりは突然に訪れてきました。昭和63年、伊予高校創設6年目の年でした。当時伊予高校は、創設以来すべての学校行事を映像として記録していました。放送部は熱心で厳しい仲田秀雄先生(現城南高校教頭)の御指導のもとに、最新の放送機器を駆使し、NHK杯全国高校放送コンテストにも連続して出場していました。その仲田先生が、マレーシアからの留学生を事前指導するために、現地に2年間派遣されることになり、視聴覚機器を扱うことができ、打たれ強い私が後釜に座ることになりました。

 仲田先生の御指導は部員に徹底していました。放送部の生徒は、朝礼のある日は朝早く登校して全ての準備を整えていました。そんな伊予高4期生の3年生に指導されながら、放送コンテストのいろはを学びました。ラジオ・テレビ番組の制作には驚くほど長い時間を要します。作品応募の締切直前まで手直しは続きました。20代の若手2人の先生からの「全国へ行けなかったら顧問のせいですね」という遠慮のない叱咤激励の影響もなく、前顧問の遺産を生かして、この年も全国大会へ出場しました。NHKホールでの大会を初めて見て、そのレベルの高さに驚きました。また、3年生の指導を受け、全国大会に参加した五期生部員の、全てを吸収しようとする輝く瞳・真摯な態度に、培われていく伝統の力を感じました。

 夏の全国大会を終えても、伊予高放送部にはまだ大切な仕事が残されていました。卒業式のプロローグとして、卒業生の高校入試合格発表から卒業までの高校3年間の思い出を、映像と音声で印象に残る番組に編集し、保護者の皆様にも見ていただくのです。冬休みから、今年のコンセプトは何か、集めた情報の取捨選択、ナレーションやBGM、それぞれの役割を決め、卒業式前日まで視聴覚教室に籠もりきりでした。あの日・あの時を振り返りながら「伊予高に学んでよかった。」との思いを先輩たちの心に残そうと、前日まで5期生部員の努力は続きました。

 この献身的な使命感に燃えた部員たちに出会わなかったら、放送部の指導には携わらなかったかもしれません。翌年は「元年総体」が愛媛で開催され、伊予高放送部は男子バスケットボールの全試合を録画し、試合会場でのアナウンスも担当しました。部員たちは、やりがいのある仕事を責任を持って遂行してくれました。この間、NHK松山放送局にお願いして、技術的な指導もしていただき、生徒達の技量も確実に向上しました。翌年も全国大会入賞者のテープを手本にして、県大会でアナウンス部門最優秀に輝く生徒もでました。生徒は無限の可能性を秘めています。7期生の卒業式には3年生の思い出をビデオで放映しました。最後の鵬翔が飛び立っていくシーンとともに私の伊予高校での生活も終わりました。

 次に転勤した松山東高校は学校行事に燃える生徒達が沢山いました。ボートレース大会は梅津寺まで機材を運んで、ここでも部員達は早朝から働いてくれました。歴史的な編集機材には驚かされましたが、新しい機器を取り入れると、めきめきと能力を発揮してくれました。その中に首藤奈知子アナウンサーもいました。失敗にくじけず、切り替えの早い、いつも明るさを失わない姿が印象的でした。

 現在、高文連放送専門部では、他県の講習会にも積極的に参加する佐藤部門長を中心に、夏の講習会にはNHK杯で審査員を務めた講師の先生に指導を仰ぎ、高文祭の審査員にはNHK杯でアナウンス・朗読で優勝した方に審査・講評をお願いするなど、全国を目指した指導を続けています。昨年、松山南高校がTVドラマ部門で全国2位、ラジオドラマ部門3位になりました。愛媛県高校放送部の今後が楽しみです。