私の教育実践
教えられ育てられた私の教育実践
愛媛県立松山東高等学校 校長 丹下敬治
―地域に根ざした伝統・文化教育―
西条市立石根小学校 教諭 越智紀美夫
教えられ育てられた私の教育実践
愛媛県立松山東高等学校 校長 丹下敬治

愛媛県立松山東高等学校校長 丹下敬治 昭和54年4月、今治北高校の山本修校長から辞令をいただき、自分が教師になるという喜びと、先生と呼ばれることに何となく気恥ずかしい思いがしたことが、昨日のことのように思い出される。私は27歳まで大学の研究室で生体物質の生合成の研究に明け暮れていた。縁あって愛媛の教師になり、生徒や教職員など多くの人と関わる中で、教えることより、学ぶことの方が多かったと感謝している。現場での経験が少ないので、若いころに世話になった今治北高校と今治東高校でのことを紹介したい。

 今治北高校の一年目は、生物の授業を受け持つことになった。1年生と3年生を受け持ち、生物の知識のない私はとにかく勉強した。顕微鏡写真の撮影と現像をマスターしたり、教科書に載っている生物実験に片っ端から挑戦したり、大学受験問題集と格闘したりして、なんとか乗り切ることができた。二年目は生物のほかに地学の指導が加わり、四年目に初めて専門の化学を担当した。専門と思っていたけれども、この1年間は化学と格闘することになった。生物を担当していた生徒から、遠足で道端の花の名を尋ねられるのには困ったけれど、理科の教科指導力を高めるためによく勉強した4年間であった。

 今治北高校ではボート部を担当した。放課後毎日今治の浅川海岸に走って行き、生徒と一緒になってボートのイロハを学んだ。歯を食いしばって練習に取り組む頑張り屋の生徒たちに出会って、昭和55年には県総体で、男子シェルフォア、女子ナックルフォア、男子シングルスカルが優勝して、愛媛で開催された55総体に出場した。ボートの東予地区専門部長も仰せつかり、このころ玉川ダムに1000mのコースをつくって、練習場を海からこちらに変更した。毎日放課後には自転車でダムまで通う生徒たちに私も負けておれないと思った。充実した教員生活のスタートであった。

 次に赴任したのが、今治地域に新設された今治東高校であった。創立一年目であり、新入生は「栄光の一期生」と名付けられ、大澤哲校長のもと生徒も教職員も新しい学校を創ろうと知恵と工夫で何にでも挑戦した。校長の口癖が「明るく元気な学校。頑張る集団。」で、とにかく生徒をほめていただいた。今治東高校創立元年に野球部の監督を誰がするかということになり、当時一番若かった私に白羽の矢が立った。野球はまったくの素人で、集まった生徒もほとんど中学校での経験のない素人軍団であった。グランドは照明もなく小石交じりで野球をやれるようなものではなかったが、数本のバットと十個ばかりのボールで練習をした。生徒たちは私のへたなノックに文句も言わずに汗を流し、よく笑い、よく走ってくれた。一年生だけのチームの対外試合の成績は1勝12敗1分けであった。二年目から東野豊重監督に引き継いでいただき、素人軍団が3年生の夏の県大会で準々決勝まで駒を進めた。生徒たちからやればできることを教えてもらった。一方、私は二年目から男子ソフトテニス部の監督になった。県新人大会の個人戦で決勝まで駒を進めるのに5年かかった。翌年、門田広繁監督に来ていただき、初めてインターハイに出場した。以来、今治東高校のソフトテニス部は素晴らしい活躍を見せている。

 私にとって、この両校が私を大きく成長させてくれたと思っている。ボート部、野球部、ソフトテニス部、自然科学部の生徒たちの顔が一人ひとり思い出される。たとえ県大会を勝ち抜いてもいつかは負けるときがある。負けても失敗しても、何かに一生懸命に頑張れる人は、必ず人生においても頑張る人間になり、人生の勝利者になる。社会で活躍している教え子たちがそれを証明してくれている。

 これまで多くの素晴らしい生徒たちや情熱あふれる教職員の皆さんに出会った。我以外皆師ということを実感した。今でも当時の教員が集まって、囲む会を開いている。今治北高校は佐伯蔵元校長の「櫂の会」、今治東高校は大澤哲元校長の「創東会」である。


―地域に根ざした伝統・文化教育―
西条市立石根小学校 教諭 越智紀美夫

西条市立石根小学校教諭 越智紀美夫 私が勤務する石根小学校は、西条市の西部に位置した小規模校で、学校の南側には四国山地の山裾が迫り、西側には田畑が広がり、校区内を妙之谷川と中山川が流れる豊かな自然に囲まれた学校です。また、校区には地域の先人ゆかりの史跡をはじめ、多くの貴重な史跡が地域の人々の手により伝え、守られ、残っています。

 本校では、『輝け学校!輝け地域!伝統・文化を守り育てつないでいこう』のテーマのもと、総合的な学習の時間や学校行事などで、保護者や地域の理解や協力を得て、学校と地域とが一体となって、史跡巡りや、近藤篤山先生についての学習等を行っています。石根の自然、伝統・文化を体験し学ぶ活動をとおして、石根を大切にし、石根を愛する児童の育成を目指しています。その実践『篤山椿の挿し木』活動と『石根史跡巡り』について紹介したいと思います。

『篤山椿の挿し木』活動
「篤山椿の挿し木」活動の様子 篤山椿の挿し木活動では、まず、地域の椿名人の小松椿会の皆さんから、近藤篤山先生の教えや生き方について学びます。その後、近藤篤山先生が愛したと言われる篤山椿の挿し木について教えていただいています。椿はもともと小松町の文化として受け継がれてきたものです。子どもたちに郷土の偉人近藤篤山先生の生き方とともに、小松町の文化である『椿』を守り伝えていく心を育てることができればと思っています。また、3年間育てた椿は、本校で29年続いている「交通安全キャンペーン」で、篤山椿の紹介のプリント・交通安全標語のしおりとともに、交通安全を願って多くのドライバーや地域のみなさんに配っています。
 私も、子どもたちと一緒に学習する中で、篤山先生の教えや思いに触れることができました。子どもたちには少し難しいかなと思いましたが、『篤山先生はみんなに慕われていたんだね。』『今でも篤山先生の教えが残っているのはすごい。』『地域にこんなすごい人がいたんだ。』等の感想から、子どもたちなりに篤山先生の教えや生き方に感じるところがあったように思います。


『石根史跡巡り』
「石根史跡巡り」の様子 石根の地域には今も多くの史跡が残っています。そこで、地域を3ブロックに分けて、毎年1ブロックずつ巡る『石根史跡巡り』を行っています。この史跡巡りは、石根公民館・石根地区愛護班・石根地区健全育成協議会との共催で行なわれています。地域に残る史跡(古墳・神社・お寺・庄屋跡・お地蔵さんなど)を縦割り班で、保護者・地域の方々と一緒に巡っています。
各史跡では、地域の方が、子どもたちにそれぞれの史跡についての説明をしてくださいます。

 6年間で2度同じ史跡を巡ることで、子どもたちからは、『石根の地域についてよく知ることができてよかった。』『3年前はどうしてかなと思っていたことが、今回の史跡巡りをしてよく分かりました。』『これからもこの史跡を大切にしていきたい。』『大人になって、史跡巡りがあれば、今度は自分が子どもたちに史跡について説明したい。』等の感想が見られました。
 

 このような体験活動の様子や感想等を見ると、子どもたちに、郷土に対する愛着や郷土を大切にする心が育っていることが分かります。これからも、石根の恵まれた自然、伝統・文化、優れた先人の生き方についての学習をとおして、学校、家庭、地域がさらに連携を深め、人と人とのつながりを大切にした、新たな人間関係を作っていきたいと思います。