私の教育実践
野外観察のすすめ
愛媛県立新居浜西高等学校 校長 横山忠正
―地域の人々とともに―
東温市立川上幼稚園 園長 桑原惠子
野外観察のすすめ
愛媛県立新居浜西高等学校 校長 横山忠正
愛媛県立新居浜西高等学校 校長 横山忠正
 私は理科の教員であり、専門は「地学」、特に地質学である。学生時代は地質調査のフィールドワークについて厳しいトレーニングを受けてきたので、この経験を学校教育にも生かしたいものだと思っていた。それは、昭和62年4月から平成13年3月までの14年間、「生きた化石」と呼ばれながら勤務した愛媛県総合教育センター(以下センター)で大いに生かすことができたと思っている。

 センターに研修に来られた小・中学校の先生方が訴える悩みとしては「校外に出かけて自然を観察させる時間的ゆとりがない」、「観察場所まで遠い」、「観察に適した場所をよく知らない」、「地域に地層や岩石の良好な露頭があっても、それについて知識が不十分で、どう指導してよいか分からない」などが多い。これらを解消する手助けとなるよう、センターの研修にはできるだけ野外観察を取り入れることにした。地学で扱う地層や岩石の特徴を理解するためには野外観察が欠かせないのだ。ただし、現地で私が一方的に説明をするのではなく、露頭で観察すべき部分をいくつか選んで、その部分ごとに課題を設定し、観察→記録→考察という作業をしていただくスタイルにした。単に地層や岩石に関する知識を得るだけでなく、調査の方法や観察の仕方も身に付けていただこうというねらいである。これらの経験を積むことによって、先生方自身が勤務校の近くで適当な露頭を見つけて教材化することも可能になる。また、露頭での作業によって強い印象や感動を受けておれば、やむを得ず標本や映像を使用して指導する場合でも、先生方の言葉は強い説得力を持つだろうし、身近な場所の映像であれば臨場感を帯びた授業となり、児童生徒の興味関心が増すものと期待される。実際に野外研修をしてみると、地層はいろいろな堆積物からできていること、堆積の仕方にもいろいろあること、火成岩とは全くつくりが違うことなどを実感できたとの感想が多かった。また、岩石や地層の空間的広がりのスケールの巨大さがよくわかったとの声もあった。風化によって岩石は色が変わったりもろくて崩れやすくなったりすること、地表の水が影響を及ぼすところは風化しやすいことなどを野外で実際に確かめることにより、防災の視点も生まれてきたように思う。しかし、化石や珍しい鉱物がひとつでも見つかろうものなら、皆さん観察はそっちのけで化石や鉱物探しに夢中になってしまったこともある。

 当時は、小・中学校の先生方が半年間センターに在籍して研修するという短期研修の制度があり、所属する研究室でテーマを設定して研修・研究を行い、最後に報告書をまとめセンター所員全員の前で発表会をしていた。私の研究室にも1年に一人ずつ研修に来られていた。この場合も私のスタンスは変わることなく、研修期間も長いので、できるだけ研修生の勤務校に近い地域の地形や地質をテーマとして取り上げ、徹底的に野外調査をしていただいた。その野外調査には私も同行し、松山市やその周辺をはじめとして今治市や西条市にまで調査に出かけたものだ。私自身も初めて訪れる場所が多く、いろんな発見があり、愛媛の地質について知見を深めることができた。愛媛に第四紀火山灰層のあるのをご存じだろうか。

 こういう研修を通じて小・中学校の先生方との交流が生まれ、郡や市の単位で自発的に行われてる研修会の講師として招かれるようにもなった。あるときは四国カルストでの泊まりがけの巡検に同行したこともある。普段あまり接触のない小・中学校の先生方と一緒に行動し、現地で意見を交わしたり、夜お酒を酌み交わしながら情報交換したのもいい思い出である。こうした交流によって教師としての視野が広がったように思う。また、親交を深めた先生方とは管理職になって赴任したところで再会し、何かとお世話になっている。フィールドワークで一つ一つ培われた絆、このような絆は今後も大切にしたいと思っている。



―地域の人々とともに―
東温市立川上幼稚園 園長 桑原 惠子

 言葉で言えば簡単なようでも、幼稚園の生活の中で難しいなあと思うことがある。 
東温市立川上幼稚園 園長 桑原 惠子

 一つ目は、「待つ」ことの難しさである。ただ、意味もなく「待つ」だけならそう難しくはないだろうが・・・。子どもが、一歩自分から踏み出すのを「待つ」、手を貸したいけれど難儀しながらやっているのを「待つ」、気持ちが変わるのを「待つ」・・・いろいろあるけれど、教育の中で「待つ」というのは、自分の信念と子どもとの信頼関係がなくてはできないことだと感じている。

わたしが、20代後半と30代半ばに研究会での発表をさせていただいた時のことを思い出す。できた原稿を当時の園長先生に見せた時のこと、「まだ日があるから・・・」と一言言われた。また、30代の時にも園長先生に、「まだ考える時間があるから・・・」その時は、そこで指導していただけなかったことに対して不満ももったし、これ以上は無理という気持ちもあったが、何とかぎりぎりまで考えて当日の発表をすることができた。それから何年もたってから、「待った」園長先生の方がきっとしんどかったに違いないということや「待ってもらえた」ありがたさを実感した。それから、わたしは子どもや保護者、同僚などとのかかわりの中でその時々に思いをもって、そして意味ある「待つ」をするように自分に言い聞かせている。

 二つ目は、「共に」の難しさである。保護者や地域の人たちと「共に」子どもを育てていきたいと思う。しかし、多様な価値観やニーズの中で「共に」を見出すことはなかなか難しい。そこで、保護者と「共に」はまずは聞くこと、寄り添い受け入れることから始めることにしている。そんな中で、どの保護者も一生懸命子育てしていることが分かる、だけどその一生懸命が子どもにうまく伝わっていないことも見えてくる。でも、一生懸命を受け止め認めることで、「共に」という気持ちがお互いにできてくる。

 地域の方との「共に」は、こちらからちょっと踏み出せば幼稚園の応援団はたくさんいる。川上幼稚園では、3学期に地域の方と保護者と幼児でいろいろな遊びを楽しむ日がある。「たこつくり」「こま回し」「竹とんぼ」「かるた」「あや取り」などをする。特に人気は「竹とんぼ」で、父親が一生懸命に作っている。切り出しナイフや小刀などを使って作るのだが、出来上がったときの父親と子どものうれしそうな顔。地域のお年寄りの方と一緒に作るが、見た目は同じように見えても、うまく飛ばない竹とんぼに首をかしげる様子も見られる。今年はこれを作ろうと期待してやってくる親子もいる。地域の方でも子どもとの活動をしているが、まだまだ幼児期は幼稚園が核となって地域と結び付けていくことが大切だと感じている。
川上幼稚園の様子
















 これからも自分なりの「待つ」「共に」を考えながら、子ども・保護者・地域の人々とかかわっていきたいと思う。
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