私の教育実践


私の教育実践ー郷土史の研究を通してー 
今治市立宮窪中学校 教諭 八木 健
私の教育実践ー宇和海の生徒や地域の方々とともにー
宇和島市立宇和海中学校 教諭 古谷 成



私の教育実践ー郷土史の研究を通してー
今治市立宮窪中学校 教諭 八木 健

 現在勤務する宮窪中学校では「八木説を話して!」と頼んでくる生徒が数人いる。以前から生徒と共に中世の城跡を平板測量したり狼煙の実験をしたりするなどの活動を行ってきた。その結果から導き出される新しい発見について生徒に話しているうちに、その内容を大西史談会、桜井史談会、今治史談会に評価していただき、講演会で発表する機会をいただいた。本校の校区は村上水軍の本拠地であるので、村上水軍と日本海海戦との関係についての新説を、プレゼンを駆使して生徒に話すと、興味のある生徒が詳しく話してほしいとやってきた。「これは八木先生の説だから試験には書くなよ。」と言いながら話すうちに八木説という名前が定着した。

 宮窪町は大島石(花崗岩)の産地としても有名である。総合的な学習の時間に石材加工工場を見学している時、宮窪町友浦にある宝篋印塔(花崗岩製 鎌倉時代)の話題になり、工場長が「友浦の宝篋印塔は大島石ではない。」と言った。そこで、生徒数名と共に友浦の宝篋印塔を観察すると、大島石は黒色と白色が細かく均等に分布しているのに対して、友浦の宝篋印塔は薄い黄色であることがわかった。今治地方は日本でも有数の鎌倉時代の宝篋印塔や五輪塔の宝庫であり、今までは大島石があるからたくさんあるのだろうと漠然と考えていたため大きな発見であった。

 石造物が特に集中する野間や延喜にある石造物を調べて見ると、友浦の宝篋印塔同様薄い黄色である石造物(以後石造物A)と、大きな黒の斑点がある石造物(以後石造物B)があった。石造物Aは比較的小型で寸法、形がほぼ一緒であるため、他の地域で作成して宮窪や乃万に搬入してきた可能性が高いことを生徒に話した。さらに、比較的大型である石造物Bも同様に他の地域から運んできたと説明すると、生徒はどのように花崗岩を搬送したのか聞いてきた。日常生活の中で花崗岩の大きな塊がトラックで運ばれているのを見慣れているため、トラックのない昔にどのように輸送したのか不思議に思ったようだった。確かに石造物Aは比較的小型で分解すれば当時の船でも運ぶことができるが、比較的大型である石造物Bは遠方から運ぶのは困難であると思った。総合的な学習の時間に昭和初期には大島石を輸送しやすい海岸の石切り場で採掘していたと聞いた。そこで、野間や延喜の中心を流れる品部川の河口にある鴨池海岸を歩いてみると、海岸に石造物Bの材料と予想される大きな黒い斑点のある花崗岩が見つかった。そのため、海岸から切り出した石を品部川を使って輸送したと考えられる。さらに、友浦とは別の宮窪港近くにある宝篋印塔は大島石を使っているため、石材加工技術者集団が今治地方に石造物Aを携えて乗り込み、足りない分を補充するため現地の石材を使って石造物B作ったことが予想された。宝篋印塔とは公共事業に協力した褒美としてその土地の平和を願って建立されたものであり、作られた時期から蒙古撃退の恩賞不足に不平不満をもつ九州勢力の反乱に備えて鎌倉幕府がしまなみ海道沿いの今治地方で城郭整備や港湾整備等の公共事業をしたとのではないかと生徒に話した。また、話しながら村上水軍が強くなったのは、鎌倉時代に港湾というインフラが整備され大型船が着岸できたためではないかと思いつき、そのことも話した。

 こうして八木説がまた1つ生まれた。これらの新説は全て、生徒との対話の中で生まれたものであり、話した後にくる素朴な質問、たとえば干潮の時にどうやって船を接岸するのか等の質問の中に謎を解く手がかりが含まれることが多くある。また、中学生にわかりやすく話すことで、漠然とした情報が頭の中で整理され新しいことに気付くこともある。これからも生徒と共に地域の歴史についての知識を深めていくとともに、生徒の郷土に対する愛着を深めていきたいと思う。



私の教育実践ー宇和海の生徒や地域の方々とともにー
宇和島市立宇和海中学校 教諭 古谷 成

 

  本校は私が中学校時代の3年間を過ごした場所です。数年前、宇和島市中心部の学校に勤務していたときに、宇和海中学校を統合する計画があるということを新聞の報道で知り、私は宇和海中学校で勤務することを強く希望するようになりました。

 念願かなって一昨年度の4月、本校に転勤となりました。新任式で24年ぶりに校歌を歌ったときは、ついに帰ってきたんだという思いがこみ上げ、何とも言えない喜びがありました。それまでの勤務校では一クラス30人以上が当たり前だったのですが、本校にきて初めて20人以下のクラスで授業をするということを経験しました。生徒たちはとても素直で明るく、授業では積極的に挙手し、意見を発表する生徒が多くいて、私もその意見を楽しみながら授業を進めることができます。しかし中には指名されないと意見を言わない生徒や、指名されても自分の意見に自信をもてない生徒もいます。校内での授業研究や学校訪問の授業公開で、諸先輩方からいろいろな助言をいただいた中に、少人数クラスのよさをもっと生かすべきだというものがありました。先生がしゃべりすぎだ、もっと生徒にしゃべらせよう、というのです。それから私は、どうせしゃべらせるのなら、クラス全員にその機会を作らなくては、と思うようになりました。

 私は社会科を担当しています。先日、3年生の公民的分野で、「対立と合意」「効率と公正」の考え方について学習をしました。マンションの住人が夜間の街灯を省エネのために消灯すべきか、安全のために点灯すべきかという二つの立場に分かれて対立している、という設定で、生徒に解決の方法を考えさせました。何人かの生徒が効率の観点と公正の観点からそれぞれ意見を述べましたが、そのとき挙手をしてなかったA子がノートにたくさん書き込んでいたのに気づきました。私はA子を指名し、書いていることを発表するよう言いました。A子は「センサー付きのライトをつければいい」と言いました。それを聞いた周りの生徒はその意見に感心して「おぉ!」という声を上げました。A子は決して社会科が得意な生徒ではありませんが、一生懸命考え、答えを出しました。そしてそれを周りの生徒も認めました。とても温かい空気に教室が包まれた瞬間だと感じました。しかし、授業の中でまだまだ私が拾えていない意見がたくさんあると思います。授業でできるだけ全員に意見を出させ、生徒に自信をつけさせていきたいと思います。

 本校の部活動には軟式野球部、女子バレーボール部、男子卓球部、総合文化部の四つの部があります。私は昨年度までの2年間、軟式野球部を担当してきました。昨年度の部員数は14名、3年生が引退してからは9名で活動していました。部員たちの多くは小学生の時に地域の方が教える遊子クラブジュニアで丁寧に野球を教わり、中学校に入ってきます。放課後や休日の練習には保護者や地域にすむOBが教えに来てくれます。私も本校野球部のOBですが、高校野球の経験はなく、知識も乏しいため、地域の方々の協力は大変ありがたいのです。2年間で四度、県大会に出場することができたのも、生徒のがんばりと地域の力のおかげだと思っています。そのような地域にある母校で部活動ができる自分は大変幸せです。

 今年四月から私は女子バレーボール部を担当することになりました。部員は6名で、3年生が引退して新チームは5名になりました。総合文化部の協力を得て、新人戦は出場し、1勝することを目指して練習しています。私自身バレーボール部の指導は初めてで、いろいろな方に教わりながら指導しています。部員と一緒に、試合に勝つ喜びを味わうため、これからも頑張ります。