私の教育実践


「チーム泉川」の朝の取組  
新居浜市立泉川小学校 教諭 飯田 理恵
私の教育実践ー家庭科教育とともにー
県立宇和島東高等学校 校長 川上 千代



私の教育実践-「チーム泉川」の朝の取組-
新居浜市立泉川小学校 教諭 飯田 理恵

   

 今から、4年前の1学期末、前校長先生から、私たち6学年団にある提案が・・・。その当時、本校は、遅刻する児童が多い上に、落ち着いて授業を受けようとしない児童も少なくありませんでした。そういった児童が朝から意欲をもって、しかも楽しく取り組める朝の活動をさせたいので、まず6年生から試行して欲しいということでした。夏季休業中に、どの子も目を輝かせて取り組めるような活動を目指して、教材や資料選びから始まり、20分間(8時5分~8時20分)一人一人が課題意識をもって生き生きと取り組める内容や方法を考え、2学期からスタートできるように準備を進めていきました。いざ、始めてみると、想像していた以上に児童は、朝の20分間、落ち着いて、めあてをもって楽しく取り組むようになりました。ただ、取り組んだことが、学力に結びついているかどうかという点が問題となってきました。

 そこで、次年度から朝の時間を、読む力、書く力、問題解決力を付け、好ましい人間関係を醸成する時間として位置付け、全校で歩調を合わせて取り組ませることにしました。郷土の先人、遠藤石山先生の名前から『石山タイム』と命名し、月曜日から金曜日までのメニューを学年間で、そして学年相互で話し合い、内容を吟味していきました。1年目は、試行錯誤しながらの実践でした。定期的に成果と課題について話し合い、少しずつ改善していくようにしていきました。地域の方も、小学校の取組に理解を示してくださり、一週間に一度、ボランティアとして来校し、1年生から3年生の各教室で本の読み聞かせをしてくださることになりました。「チーム泉川」の取組がレールに乗り始めた頃から、遅刻をする児童が減少し、全校的に落ち着いた雰囲気が漂い始めました。

 そして、「石山タイム」2年目に突入しました。早朝から活動させるためには、前日までに、毎日教材の準備をしておく必要がありますし、8時3分に児童を着席させるためには、最低でも出勤時刻を5分以上繰り上げなくてはなりません。少しでも児童に学力を付けさせようという先生方の思いに支えられて、朝の時間「石山タイム」が順調に進んでいることを実感した一年となりました。2年目になると、8時3分の〝深呼吸″からスタートし、8時5分には、全校中が静まり返り、どの教室でも、ひたすら課題に取り組む児童の姿が・・・。

 今年度、3年目を迎えた「石山タイム」は、現校長先生のリーダーシップのもと、さらに、進化しています。家庭との連携が不可欠であることを痛感し、毎月1回、「石山タイム」強調週間を設け、保護者の方に自由に参観していただくことにしました。そして、学力向上推進だより「学びのすすめ」を発行し、「石山タイム」の様子を紹介したり、保護者アンケート結果を掲載したりしています。また、教師による自己評価は行っていましたが、児童自身の「ここが伸びた!」「チャレンジしたい!」という思いを少しでも自覚させるために児童による自己評価も始めました。特に高学年になると自分の取組を的確に評価できる児童も見られます。

 このように、「チーム泉川」の力で突き進んできた朝の取組ですが、残念なことに全国及び県学力テスト結果には、なかなか結びつきません。せっかく軌道にのってきたのにと悩んでいると、校長先生がいつも「今から2、3年後には必ず成果が出るから、心配しなくてもいいよ。」と優しい言葉をかけてくださいます。落ち込んでいる場合ではありません。「チーム泉川」の力を信じて前進あるのみです。

 なお、この取組は、私一人の実践ではなく、「チーム泉川」の実践であることを書き添えておきます。



私の教育実践ー家庭科教育とともにー
県立宇和島東高等学校 校長 川上 千代

 私は、大学で家族関係学を専攻した。教師になったときの家庭科の教科書には、専門分野の家族に関する内容が1頁しかなかった。高校時代には学ばなかった学問に大学で出会い、家族や家庭を取り巻く環境を社会学で分析することがおもしろく、社会学的な視点を取り入れた家庭科教育をしたいと思い、教師を志願した。

 私が教師となった昭和52年頃は、県内高校生の大学進学熱が高まり普通科志向が強くなったことから、多くの家政科が廃科となった。当時赴任した南宇和高校では、農業科の女子に農家の主婦としての専門教育が行われていた。生徒たちは、私には到底教えることが出来ないような高度な技能を身に付けて卒業していった。大学時代に食物や被服の基礎的な技術しか習っていなかった私は、普通科の基礎的な科目を教えるのが精一杯だった。
 
 今でも家庭科というと、多くの人が食べることと着ることを連想するように、当時の家庭科の内容も食物と被服が中心だった。食物分野の技術は、短時間で実践できるし、地方でも専門家に学ぶ機会が多くあり、専ら食物分野の指導技術の習得に励んだ。当時は、完璧な手作りを目指すレベルの高い指導を行ったが、現在は、女性の社会進出や急速な生活スタイルの変化に対応して、家庭料理の省力化や健康に配慮した外食の上手な利用方法なども重要な指導内容となっている。

 
 平成6年度は、高校家庭科の大きな変革の年だった。それまで女子だけが学習する家庭科を男女で学ぶことになった。その理由は、昭和
54年に国連総会で「婦人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」を批准するに当たり、男女に差のあった中学校と高校の家庭科の学習を見直したからだ。また、国内でも家庭の教育力の回復を目指して、男女が協力して家庭を築くことや親となる自覚を高めさせる教育が求められた。そのため、高校家庭科の教育内容も私の専門分野である家庭経営、家庭経済、消費者教育などの分野が大幅に増えた。しかし、法律や制度の理論が中心となっている分野だけに、家庭科として体験的・実践的に学ばせるための教材作りに苦慮することになった。
 
 家庭科の男女共修を目前にした平成4年に北宇和高校へ赴任すると、制度の先取りで、男子だけの家庭科を教えることになった。時間が少ないこともあって、食物分野だけを教えた。家庭科の授業を受けるのは小学校以来という男子生徒だったため、栄養についても料理の技術にしても、とても興味深く意欲的に取り組んでくれた。まるで、白い画用紙に赤色や青色のインクが吸収されるような学習意欲で、小学校の教師は味わうことがあっても高校の教師には味わうことのない、教えることの楽しさを味わうことになった。何よりも、自分たちの作った料理がおいしくて、心もお腹も満たされた表情は、今でも忘れられない。
 
 昨年度、本校は文部科学省からスーパーサイエンススクール(SSH)の指定を受けた。この事業は、理科や数学の課題研究を積極的に行い、将来の科学技術関係人材を育成することがねらいである。応募するに当たって、理科や数学の教師と議論しながら計画書を作成するのに、家庭科の課題研究であるホームプロジェクトの指導経験が生かされた。うれしい限りである。
 
 家庭科を一言で言うと「生きる哲学を学ぶ教科である。」と言った先輩教師がいた。一人の生活者として、生活に必要な知識と技能を身に付けるとともに、生涯にわたってよりよい家庭を創る実践力を身に付けてほしいと願って指導してきた。人間らしさの基本は家庭生活にあると考える。何事も規則正しい生活習慣が、より人間らしい言動や思考を生み出す。かつての教え子の子どもたちが高校へ入学してくるようになり、親として成長してくれた教え子から人生観を学ぶ毎日である。