銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
『万葉集』山上憶良
新採研修の折、県教委の方から「親にとって子は宝もの」というお話を聴き、爾来、この言葉を胸に教職に携わってきました。新採の頃は、教えることだけで精一杯でしたが、生徒によって教師に育てられました。やがて、生徒は社会にとっても宝ものだと実感するようになってきました。生徒には、無限の可能性があります。未来を切り拓いていく素晴らしい力があります。学校教育の場で、多感で可能性に満ちた彼らと関われることの喜びと責任感はたとえようもなく大きなものでした。
校務分掌は、主に進路指導を担当しました。松山商業高校では、新設校のⅠ期生卒業年とも重なり、受験結果が大変厳しいものとなりました。受験の厳しさ、進路保障の大切さを痛感しました。丹原高校では、桜三里を越え、往復60キロの道のりを早朝補習に励みました。12年間も頑張れたのは、純朴な生徒の後押しがあったからでした。毎日欠かさず、教室に花を飾ってくれた生徒もいました。松山南高校では、学校完全5日制への移行に伴い、学力・進路保障の観点から土曜特別講座を実現させました。生徒・教職員・保護者の皆様の力強い連携の賜物でした。また、扇風機の設置や愛媛大学との高大連携、大手予備校のスーパー講師による受験講座等やれることはすべてやったように思います。この頃の私には、大学受験における「私学の台頭」と「公立校の黄昏」が強烈に意識されていました。
高校野球とも御縁をいただきました。松山商業高校では、甲子園に夏3回、春1回、丹原高校では、夏1回、今治西高校では、春2回の応援に恵まれました。高校野球をとおして脈々と受け継がれている精神や生徒の持つ力のすばらしさを震えるほど体験しました。昭和59年夏の大会ベスト8(松商:酒井対PL学園:桑田)と昭和61年夏の大会準優勝(松商:藤岡対天理:本橋)は圧巻でした。彼らの集中力、チャレンジ精神、執念には学ぶことが多くありました。
今、改めて振り返ってみますと、37年間の教員生活を全うできたのは、教職員や保護者の皆さん、地域の皆様の御支援があってのことは言うまでもありませんが、一番は生徒のおかげです。生徒に向き合い、ともに悩み、苦しみ、喜んだことが私を一人の教師、人間に育て上げてくれました。私の教員生活の中で出会ったすべての皆様方に心からお礼を申し上げ、この拙文を閉じます。ありがとうございました。
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