私の教育実践


私の教育実践―すべては出会いから―
愛媛県立松山東高等学校 校長 藤田 繁治
私の教育実践―心を育てる金銭教育―
宇和島市立番城幼稚園 主任教諭 居村 千代



私の教育実践-すべては出会いから-
愛媛県立松山東高等学校 校長 藤田 繁治
 
 工学部で金属工学を専攻した私は、大学卒業後、原子力関係の研究施設に就職しました。しかし、高校の生物の教員を目指したいという思いから、退職し、高知で大学の聴講生として、教員免許取得のための勉強を始めたのです。ただ、教育実習に係る単位修得だけは、出身大学でなければ無理だということで、仙台に出向き、願書を出そうとした時です。要項には、他の大学等に在籍していない旨の但し書きがありました。同時の受講は無理なのか・・・、諦めかけた私に、若い事務官が話しました。「ただ私は、あなたがどこかの大学に在籍しているかを調べる立場にありません。」― 別の答えなら、あるいは、担当がこの事務官でなかったら、自分は教員をしていただろうか。今でも時々思い返すことがあります。

 私が教師としての職を得て、最初に赴任したのは工業高校でした。新採2年目には、1年生の担任を務めました。男子ばかりの元気がいいクラスでしたが、一人、特に感情の起伏が激しく指導の難しい生徒がいました。ある授業で、隣と話をしていた生徒を厳しく叱った時です。彼の声が聞こえました。「大丈夫。藤田は手は出さん。口だけだから。」気が付いたら「お前を殴って、教員なんか辞めてやる。」殴りかかっていたのは私の方でした。しかしその時、周りにいた生徒が一斉に、本当に一斉に私にしがみ付いたのです。「先生、やめて。」両手両足を全て押さえられ、私は何か無性に悔しくてもがいていました。騒ぎが収まって教壇に立ち「言葉では分からないというなら、俺はもう明日から、お前たちの前には立たない。」若い未熟な教師が、涙をこらえてそう話した時、クラス全員が泣いていました。大切なのは教員の「本気」なのだろうと思うのです。

 翌年、私は妻とまだ生後4か月の長男を連れて、小さな島の学校にいました。今治からフェリーで1時間40分、確かに遠い僻地ではありました。しかし、純朴な生徒と、濃密な地域との関わりの中で過ごした9年間が、私に教員として必要なものの全てを与えてくれたように思います。
 
 忘れられない多くの教え子の中に、「友里恵」という生徒がいました。結婚式にも呼ばれましたが、私は「同じ名前の娘を持つ親の一人として、幸せになってほしい。」とあいさつしました。赴任して4年目の秋、生まれた長女に「有里枝」と名付けていたからです。また、普段「有里枝」の世話をしていただいた近所の御夫婦は、私たち家族が、いつか転勤して行ってもさびしくないようにと、初孫に「佑里恵」と名前を付けてくれました。「友里恵」が「有里枝」になり「佑里恵」に。人に第二の故郷と呼べるものがあるとすれば、私にとって、それは間違いなく瀬戸内に浮かぶこの美しい島でした。

 島を離れ、はじめて勤務した大規模伝統校では生徒指導を担当する中で、時に生徒に反感を抱かれることも少なくありませんでした。ある朝、学校の壁一面に私を中傷する落書きがありました。この落書きを消す作業をしていた業務員さんに、「迷惑をかけますね。」と声を掛けた時、「勲章みたいなものでしょう。先生が頑張っているのを皆知っていますから。」そう励まされました。また、生徒課長として指導に行き詰まった特、当時の校長先生はいつも「先生が辞めないかんようなことがあれば、わしも一緒に辞めるがな。」思い切ってやりなさいと言うときの口癖でした。退職されて郷里の笠岡に帰るときも「先生と一緒になら、わしももう少し仕事をしたいと思う。」そう言っていただきました。3年前の10月、先生の娘さんから「父が亡くなりました。」との連絡がありました。病室を整理していたら、葬儀には呼んでほしいと、何人かの連絡先が書かれたノートがあったのだそうです。人生とは、結局誰と出会うかなのだろう。35年の教員生活を終えようとする今、改めてそう思うのです。

 

私の教育実践ー心を育てる金銭教育ー
宇和島市立番城幼稚園 主任教諭 居村 千代

 本園は、平成26年・27年、金銭教育指定校の委嘱を受け、研究主題を「人やものとのかかわりを通して、心豊かな幼児を育てる」とし、研究に取り組んできました。感謝の心をもつ「人とのかかわり」、ものを大切に扱おうとする「ものとのかかわり」、働くことやお金の大切さを実感する「お金とのかかわり」の3つの柱をたて、「気付く・考える・判断し実行する」ことを支援しながら遊びや活動を見直すことにしました。教師の援助として大切にしてきたことは、気付かせるための言葉掛けと、自分たちで考え取り組む時間の確保です。

 「人とのかかわり」として、これまでも保育園児や小学生、地域の人たちとの交流を行っていましたが、まずは園内での人とかかわる経験が基礎になると考え、異年齢グループでの活動を計画的に取り入れました。当初は3歳児とうまくかかわれなかった4・5歳児も、目線を合わせて話をしたり一緒に手を繋いで行動したりするようになりました。優しい言葉掛けや行動がたくさん見られるようになり、互いに育ち合う場となっています。5歳児の保護者からは、「3・4歳児のことを褒めることが多くなった。相手を褒める心が養われていると思うと嬉しかった。」という感想をいただきました。

「ものとのかかわり」として、片付けの時には、「これはまだ使えるよ。」と、材料を分類する姿が日常的になっています。また、教師が何かをしていると、「手伝ってあげる。」と、数人が手伝い始めます。「やってみたい。」「みんなですると楽しいね。」このような気持ちや人の役にたつ喜びが、手伝いの大好きな幼児を育てています。様々な活動には準備や片付けが必要ですが、その部分を幼児と一緒に行うことは、活動への意欲を高めるとともに、働くことの大変さやみんなで協力する楽しさを味わう機会になっています。

「人・もの・お金とのかかわり」としての買い物体験では、回を重ねるたびに、公共の場でのマナーを守り、相談して決める姿が見られるようになりました。必要なものは何か、決まった金額の範囲内で買い物をする、ということを知らず知らずのうちに学ぶことができました。また、野菜の栽培や道の駅見学が、お店屋さんごっこに繋がった活動では、5歳児がお店屋さんになり、3・4歳児が手作りのお金を使って買い物をしました。5歳児は道の駅で見たり感じたりしたことを、自分たちもやってみたいと思い、開店までの話し合いや準備を進めました。協力して仕事をする楽しさや大変さ、新たな気付きは、さらに次の活動へと繫がり、働いて得たお金は、次のお店屋さんごっこや郵便ごっこで使うお金になりました。共通の目的をもち活動に取り組むことにより、集団の中で一人一人が自信をもって行動することができ、人とかかわる力の育ちも見られました。さらに、保護者との連携においては、金銭教育に関する講演会を行ったり、幼児の学びの姿を伝え共に成長を喜び合ったりしたことが、金銭教育への理解や意識の変化にも繋がりました。

 このような2年間の研究を通して、様々な場面で幼児の心の育ちを見ることができ、幼児期にこそ金銭教育は大切である、ということを実感することができました。幼児のふとした行動や優しい言葉に触れたときには、心が温かくなります。人とのかかわりについてはまだまだ個人差はありますが、今後も家庭と協力し地域のよさを生かしながら、幼児の活動をさらに充実したものにしていきたと思います。