今年度末をもって定年を迎える身となった私ですが、36年間に亘った教職生活を、近頃折に触れ振り返ることが多くなってきました。 そして、あの小林秀雄が未完の大作『感想』(仏の哲学者で、1927年のノーベル文学賞受賞者であるベルクソンに関する論考)の中で、
「私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」という言葉に載せて吐露した心情が、何となく分かるようにもなりました。 返す返す数十年という時の経過は摩訶不思議な現象として我が身にも例外なく訪れてきたのだと、多少感傷的になっている今日この頃であります。
さて、今回、「私の教育実践」というお題で、ホームページ「教育広報えひめ」上への掲載の機会を頂きましたが、私自身何か強い信念の下、 この方継続して教育実践に取り組んできたことがあったのかと自問しますに、正直申しまして、人様に披露できるものがあるとも思えないのが偽らざるところであります。
ただ、それでは責任を果たすことにはなりませんので、私の来し方についてその一端を以下述べさせて頂きます。
私は、社会科の教員として、そして途中より地理歴史・公民科の教員として、はたまた部活動は野球を中心にそれぞれの勤務校で、誠実に職務に励んできたことは偽りなく言えると思います。
大学時代より、哲学に興味を抱き、生命の神秘、人間とは何か、考えることの本質等への興味・関心は、ドストエフスキー文学、インドの哲人・クリシュナムルティとの出会いを下地に、
日増しに我が心を覆ってゆきました。 そして可能性に充ちた若者とともに、これらの根源的な問いをしっかりと踏まえつつ、生徒一人一人が豊かな人生設計を作り出してゆくための、
サポート役を果たすことの出来る教師という仕事に、次第に大いなる魅力を抱くようになり、教職の道に踏み込み、今日まで過ごして参りました。
高校時代までは、本の世界に入ってゆくことのなかった私でしたが、本の魅力に取り憑かれることとなった大学時代、そして新採当時より、 よりよき授業を実践してゆくことを主目的として、幅広い教養の必要性を痛感してゆくにつれ、購入していった書籍の数も年々増え、今では数千冊に及んでいます。
無論すべてを隈無く読破したわけではありませんが、一冊一冊は、その都度心中に訪れてきた問いに応えてゆくために私の心の伴侶として集めていったものでした。
それら書籍との対話を通して、各勤務校での日々の授業にどう生かせたのか、そして時々の生徒の皆さんに世界への、社会への、人間への、生命への、 考えること等々への気づきを少しでも与えることができたのか心許ない限りですが、私の教職生活を通した、
大切な問題意識の奥底には、これらのことが渦巻いていたことは確かなことでした。
私は現在、我が母校でもあります宇和島東高校で最後の年を、校長として勤めさせて頂いています。校長としての職責は、多岐に及んでいますが、私が目下大切な
仕事として位置づけているのが、主に全校生徒向けにほぼ10日に一度のペースで、本校のホームページ上でコーナーを頂いて発信している「東風(かぜ)通信」への取り組みです。
授業を受け持たない私が、全校生徒の皆さんに、校長としての思いを時々に告げてゆくことは大切な教育実践の一つとの認識の下、昨年5月本校に赴任してから間もなく開始し、
現在第67号まで書き継いで参りました。 学校行事での生徒の様子、部活動での生徒のパフォーマンス、世相等々、できうる限り身近なことを取り上げつつ、それに対しての私の視線、気づきの一端を書き出すことで、
生徒の皆さん一人一人が生きてゆく上での何らかのヒントになってくれればとのひそかな願いをエネルギー源として、こつこつ取り組んで参りました。
今思えば、特に若かりし頃は、一人よがりの授業となっていたのではと、反省することしきりであります。 その意味では、過去私が関わりを持たせてもらった、当時生徒であったすべての人達への罪滅ぼしの意味も込め、教職生活最終盤、時々に私に訪れる切なる思いを胸に、
その都度直面する中で生まれいずる感情、思考を冷静に見つめ、私のこれまでの教職生活で学んだことをベースとして言葉を一つ一つ大切に紡ぎつつ、生徒の皆さん、仲間の教職員の皆さん、
そして保護者の皆さんに力の限り、最後の最後まで語り続けてゆきたいと思いを新たにしています。
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