私の教育実践

私の教育実践 -新宮でわくわく-
四国中央市立新宮小中学校 教頭 大西 厚 
私の教育実践 -数学教育とともに-
愛媛県立川之江高等学校 校長 中川 文生

私の教育実践 -新宮でわくわく-
四国中央市立新宮小中学校 教頭 大西 厚

 本校の教育目標は「豊かな自然の中で心豊かに学び、夢や希望を実現しようとする子どもの育成」であり、キャリア教育の視点を基盤として、自らの目標を達成できる児童生徒を育てています。また、小中一貫教育校として、これまで培ってきた新宮小中学校の教育の魅力を発展させながら、地域創生の核となる学校を目指しています。さらに本年度から、「小規模特認校」(離れた地域からでも入学できる、自然豊かな環境に恵まれた小規模校を中心とした学校の運営体制)となり、校区外からの児童生徒も受け入れ、県内産の木材をふんだんに使った木の香り漂う新校舎で、個人の能力を最大限に伸ばす教育がスタートしました。(通称「新宮小中わくわくプラン」)

 以下、本校の新しい取組である「新宮小中わくわくプラン」5項目について紹介します。 

1 自ら学びつながる力-児童生徒の話合い活動(ディベートやパネルディスカッション等)に重点をおいた主体的・対話的な深い学びを通して、探究力、発信力、コミュニケーション力を育成しています。また、愛媛大学社会共創学部と連携して、プログラミング教室を行ったり、紙産業イノベーションセンターと連携し、年4回の講座を開催したりして、社会の変化にも柔軟に対応できる力の育成や、自分の将来に夢をもち、自分らしい生き方の追求を目指しています。

2 確かな学力-少人数の利点を生かして、きめ細やかな学習支援を行っています。また、愛媛大学大学院教育学研究科と連携し、サマースクールを実施し、教科学習や体験学習を行っています。さらに、個別カルテ(「夢と希望の実現プラン(個別DHプラン)」)を作成し、個人にあった目標を本人、保護者とともに話し合う中で、目標が達成できるように、個々の伸び、つまずき等を記録し、それを累積しながら、支援や指導を行っています。

3 豊かな心-体験活動を通して、人の生き方に学び、心を育てます。恵まれた自然環境や少人数であることの強みを生かして、地域の方の協力を得ながら、社会貢献活動を充実させたり、地域文化の伝承体験を推進したりすることで、豊かな人間性を育んでいます。

4 聞ける話せる英語力-ALTが常駐している強みを生かし、外国語活動の授業に常にネイティブスピーカーが参加したり、英語集会や英語の絵本の読み聞かせを行ったりしています。また、小学校1年生から外国語活動を行い、外国語に早い時期から慣れ親しんでいます。

5 手厚いサポート-「放課後わくわく教室」を開設し、教職員のOBや地域ボランティアの方による学習支援を行う機会をもち、繰り返し学習を行い、基礎・基本の定着を図っています。

 本年度から始まった「新宮小中わくわくプラン」における私の職務は、この取組を確かなものにしていくために、校長の指導の下、教職員の先頭に立って推進・検証することです。「校区外の児童生徒が、新宮で自分の可能性を見付け伸ばすことができるよう、校区内の児童生徒も刺激を受けてともに伸びていけるよう」に、目の前の児童生徒をしっかりと育むことができる、士気の高い教職員組織の雰囲気づくりに努めていきたいと思います。

私の教育実践-数学教育とともに-
愛媛県立川之江高等学校 校長 中川 文生

  教育に携わった38年間を振り返ると、すばらしい上司や同僚、生徒たちに恵まれ、感謝に堪えません。これまで「Easy come, easy go.」を肝に銘じ、愚直に「なりたい教師像」に向かって背伸びする日々を重ねてきました。ここでは数学教育について、これまでの私のささやかな教育実践の一端を述べさせていただきます。

 20代、30代の頃は、卓越した教科指導力を身に付ければ生徒や保護者から信頼され、進路指導や学級経営も円滑に進められると考えて、数学の指導力向上に力を尽くしました。日々の教材研究に加えて次のようなことを実践しました。

○ 大学入試問題を毎日欠かさずに解く。(新居浜西高校に勤務していた30代では、「大学への数学」を2年間定期購読し、また、夏休みの約10日間を数学の学習合宿的な期間として6~7年実践しました。)

○ 数学の研究大会等に参加し、優れた教材や指導法等を学ぶ。(全国数学教育学会全国研究大会には4回参加し、平成7年には東京大会で発表しました。)

○ 勤務校の研究紀要に研究成果を掲載する。(昭和58年度・三島高校、平成2年度と6年度・新居浜西高校に掲載しました。)

○ 生徒が喜ぶ「+αの資料」を作成する。(考査や模試の解答の解説、歴史的なエピソード、発展的な内容、別解やユニークな解法等のプリントを毎年作成しました。)

 30代後半の4年間は、愛媛県学力テストの出題委員(Ⅲ・Ⅳ型を担当)として、問題を作る力も鍛えることができました。また、40代前半にはコンピュータを活用した授業を試行しました。当時は生徒の多くが機器の扱いに不慣れであり、思うような授業ができませんでした。現在は機器やソフト(アプリ)が飛躍的に進歩し、ICTの利活用に大きな可能性を感じます。さらに、中央研修と海外派遣研修(スペイン・フランス)に参加させていただくという幸運に恵まれ、自己研鑽を深めていくための貴重な契機になりました。

 その後、40代半ばで川之江高校に異動し、学級担任を離れ数学の指導に思う存分腕をふるう機会を与えていただきました。激しい指導にも生徒は実に熱心についてきてくれました。授業が楽しく、教えることに大変充実感があり、数学教員として至高の時間を過ごしました。川之江高校の会議室には「学ぶとは心に誠実を刻むこと、教えるとはともに未来を語ること」というルイ・アラゴンの言葉が掲げられていますが、それを生徒とともに実践しているような毎日だったと思います。

 高校では「数学教育の険しい山の頂を目指し、懸命に登っていく」という日々が続きましたが、松山聾学校長としての3年間では「一人一人の子供に応じて指導法は異なり、目指すところは遙かに遠いが確実に近づいている」という印象を抱き、子供が自立した大人に成長するための数学教育の役割の重さや奥深さを再認識できました。

 ところで、生徒から、時には教員仲間からも私の口真似を聞くことがあり、生徒から贈られる色紙等には「数学は美学だ」という言葉がよく使われていました。確かに、私が数学に対して抱く思いはその通りです。数学の授業が勉学に打ち込むきっかけとなったと述懐してくれる生徒、センターテストの数学ⅠAでクラス平均点が80点代半ばに達した(理系で2度)生徒たち、このような生徒との数々のエピソードはいずれも思い出深く、これからも私の心の中で輝き続けてくれるでしょう。

 お世話になった先輩の先生方を始め、出会ったすべての皆様方に心から感謝を申し上げ、この拙文を閉じさせていただきます。まことにありがとうございました。