私の教育実践



鬼北町立泉小学校 教諭 毛利恭子

共に楽しむ探究活動「チャレンジ泉貨紙探検隊」

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1 はじめに

 教職最後の勤務校である鬼北町立泉小学校は、校区に縄文・弥生の遺跡を有し、鬼北文楽やシデ踊りなどの伝統文化が受け継がれている地域にあります。平成28年度にはコミュニティ・スクールとなり、昨年度からの2年間、国立教育政策研究所教育課程研究指定校事業の指定を受け、伝統文化教育の研究を進めてきました。その中で、教師も共に楽しみながら取り組んだ総合的な学習の時間の実践を紹介します。

2 第1ステージ:「泉貨紙のよさ」を探る

 「泉貨紙」とは、かつてこの地域で作られていた手すき和紙です。鬼北町内小中学校の卒業証書にも用いられており、児童には身近な存在ですが、その歴史や価値は知りませんでした。私の知識も浅く、子どもたちと一緒に謎ときをしていくつもりで始めました。
 さてどう切り込むか、その後押しとなったのが、学校運営協議会の「熟議」です。「実物に触れるのが一番」と熟議の翌日には泉貨紙が届けられ、児童は、比較実験を始めました。燃やしてみると言い出した時は、「紙だから燃えるよ。」と思いながらもさせてみました。時間はかかっても五感を通して感じることが大切。また、地域の力のなんとありがたいこと。

3 第2ステージ:「泉貨紙の歴史」を探る

 アンケートをしたものの情報が集まりません。結局、老人クラブへの取材で一気に情報を取得。児童が、人とかかわる大切さに気付いた出来事でした。レールを敷くのは簡単ですが、つまずきからの学びも必要です。
 1年次のゴールで、「泉貨紙CM」を制作。泉貨紙のよさと歴史を2分40秒の動画にまとめました。完成までわずか5時間。子どもの力はすごい。やる気と笑顔が詰まった動画は何度見ても笑えます。CMはケーブルテレビで1か月間繰り返し放送をされ、その手応えは2年目へとつながっていきました。

4 第3ステージ:「泉貨紙の価値」を伝える

 若い世代、母親世代に知ってもらいたいと考えた子どもたちは、「製品企画を通して、広く伝える」ことにしました。「主婦層には美容系やろ。」「若者はスマホ関係やない。」など悩んだ末、「うちわ」「ブックカバー」に決定。製作には図工科や家庭科で培った技能を生かし、並行して国語科で「泉貨紙パンフレット」を作成。試行錯誤しつつも、自分たちが広めるという思いが励みになっていたようです。
 単元構成でもとになったのが、「総合的な学習の時間を中心とした泉小カリキュラム・マネジメント構想」です。これをもとに教科等横断的な単元計画を作成しました。どの教科のどの単元で身に付けたどのような力が、探究過程のどこに結びつくのか、またその逆はと考えることで、年間の教育活動を俯瞰し、意図的・計画的に学びを関連付ける意識が生まれます。カリキュラム・マネジメントには、学びをつなぐ楽しさがあります。
 探究の成果は、地域との合同行事「遺跡まつり・学芸会」で発表しました。製品紹介はテレビショッピング風に行うことになり、映像や実演まで盛り込んで会場を沸かせました。それは、改めて情報活用力、表現力の伸びを実感する場でもありました。学びの発信は、地域への感謝の場でもあり地域貢献にもつながると考えます。

5 第4ステージ:学びを振り返ろう

 最終ステージでは、保護者、関係者と児童の座談会をもちます。多様な価値観にふれることで、自分の変容を振り返る場、地域に貢献できた喜びを共有する場とし、地域の一員として何ができるか、これからの自分の生き方を考える場にさせたいと考えます。

6 おわりに

 「ふるさとを大切に思う心、何かしたいと思う心が、伝統文化をつないでいくんやね。」学芸会劇の最後の台詞です。2年間の探究活動を通して、子どもたちは人とつながる楽しさを知り、地域のために自分たちにもできることがあることを知りました。それは私も同じです。残り少しとなりましたが、地域の力を借りながら、最後まで、子どもたちと共に楽しく全力疾走するつもりです。

八幡浜高等学校 校長 佐伯鈴乃

対話の力

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 愛媛県で高校の国語の教員として勤務し、36年が経ちました。
 真面目に授業を受ける生徒もいれば、そうでない生徒も、非行などの、いわゆる問題行動を起こした生徒にも沢山出会いました。しかし、大人の都合で見れば問題行動ですが、子供たちにすれば、やむにやまれぬ成長行動であったと、今振り返って感じています。
 新規採用教員として教壇に立った1980年代、全国的に学校は荒れ、学級崩壊・校内暴力などの発生件数が過去最多を記録していました。
 当時、僻地高校に赴任した私は、演劇部の顧問となり、文化祭で劇を上演することに。しかし、部員は、女子生徒1名のみ。やむなく全校に募集をかけたところ、集まってくれたのは、校内でも有名な問題行動、いや成長行動を起こしていた男子生徒ばかり、十数名。冷やかしや、おもしろ半分で来たに違いありません。
 案の定、練習を始めて見ると、さぼるは、ふざけるは、まじめにやろうとする生徒は一人もいませんでした。演目はリア王。台本は、シェークスピアも真っ青になるほど、ばっさり、カット。台詞はできるだけ短く作りました。しかし、それでも、覚えられない役者ばかり。主役のリア王には、学校一の問題児と言われていたA君を抜擢。なだめたり、すかしたりして練習するのですが、台本を覚えるどころか読むことも難しい。本当に泣きたくなりました。本番前日の練習でも、A君は台詞を、ほとんど覚えていませんでした。「先生、まかしけ。俺は、本番に強い。」何を根拠にそんな強がりを言うのか。リア王は、悲劇ではなく、大失敗の喜劇になることは明白でした。
 しかし、文化祭の本番当日、全校生徒、保護者や地域の方もたくさん来られ満員の観客の中、A君は、孤独にうちひしがれるリア王を見事に演じ、大感動を呼び、まさかの大成功だったのです。聞けば、前日、徹夜で台詞を覚えたと言うではありませんか。満場の拍手を浴びて、照れくさそうな彼らの笑顔は今も、はっきりと覚えています。
 この頃から、学校現場における対話の重要性を実感するようになりました。対話力を身につけたいと思い、カウンセリングを学び、産業カウンセラーの資格も取りました。
 次に、生徒指導困難校と言われていた学校に赴任しました。
 予想通り、問題行動は毎日勃発。身だしなみ指導では、生徒と教員が対立し、体育館に怒鳴り声が響き渡りました。教室でも、50分の授業をつなぐのに精一杯でした。
 そんな中、赴任して2年目、突然、3年学年主任を命じられました。任された以上は、生徒のために自分にできることは何か、必死で考え、国語の教員として、小論文指導によって、大学の推薦入学を勝ち取ろうと決意しました。
 進学希望者全員を、個別に、昼休みや放課後を使って、指導しました。まず、生徒に、文章の型をまとめた紙を渡し、自分の考えをまとめさせます。最初は、何を聞いても、「わかりません。」といっていた生徒も、「実習は何をしたの?」と聞くと、「豚の出産。」とぽつりぽつり話し始めます。生徒が書いてきた文章を一つ一つ直した原稿用紙は真っ赤になりました。
 なぜ大学に行きたいのか、どんな生き方がしたいのか。小論文指導は、回数を重ねるごとに、人生についての対話となりました。
 多くの生徒が、大学合格を勝ち取り、校長先生から、「先生の小論文指導は神業です。」といっていただきました。
 2020年から、大学入試制度が大きく変わり、知識偏重教育を脱皮し、生きる力としての学力が求められます。
 一方、先生方は、多忙を極めており、働き方改革など、現場の課題は待ったなしです。健康のこと、家族のこと、様々な悩みを抱えながら、現場の先生達は生徒のために、毎日、必死で走り続けています。
 どうやったら先生達が元気になり、楽しく仕事ができるか、試行錯誤を続けています。文豪ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』の一節に、「未来は教師の手にある」とあります。
 先生が元気になれば、生徒が元気になる。対話と励ましの連鎖を学校に起こしたいと念じています。