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子どもたちは毎日の生活の中でたくさんのことを教えてくれ、私の学びとなっています。何より子どもたちが主体的に自分でしたい遊びを選んですごす中には、新しい発見がいっぱいです。子どもたちが、毎日、毎日見つけ出し、繰り広げていく世界は本当に魅力的です。その姿を見て感じられることで、私自身の感性と知性が揺さぶられ、「なぜ」「どうして」という思いが生まれ、子どもたちが繰り広げる世界を知りたくなります。幼児期という人間形成の基礎を培う時に幼稚園で教育に携えるということの幸せを感じさせてくれる毎日です。
入園してすぐの3歳児は、「ママと一緒がいい」と母親を追いかけ、泣きながら離れられず、母親やお家の人と離れることへの不安感を思いっきり訴えます。そんな時の子どもの思いっきりのパワーで泣く姿は、すごいものがあります。教師一人をも倒せるようなパワーです。そのパワーある姿を私は全力で受け止め、ゆっくりとでもすばやくその子を抱きしめ、「泣いていいよ。だいじょうぶだいじょうぶ」と言葉と体で包んでいきます。するとしばらくして泣くことをやめ、周りの様子を見始めます。つかさずその時をねらって、「ああ、だいじょうぶ。だっこ、またしようね。あれ、あそこでなんかしよるね」と言葉をかけ続け、安心してその子自身が体を動かし始める瞬間を待ちます。 この時の子どもの姿から、思いっきり感情をぶつけることができる人間の底力と『安心』が何よりも行動を起こす基本・基礎であることを学びました。
土団子づくりをしている4歳児が「先生、このふわふわのおくすりかけてあげるよ」というので「ありがとう」いうと、私が作っている土団子にそーっとさらさらの土をかけてくれ、「このおくすりがいいんよ」と言います。そして「そのふわふわのおくすりはここにあるんよ来て」とさらさらの土があるところに連れて行ってくれました。その土の周りには花壇の枠があります。その子がその枠を指さし、「この椅子に座るといいよ」「ね、気持ちいいでしょ」と言うと一緒に土団子を楽しんでいた友達も「気持ちいいんよね。ふわふわかけたら、団子つるつるになるよ」とにっこり。互いに寄り添いながら土団子に繰り返し繰り返しふわふわの土をかけていきました。 一緒に土団子を作りながら、私は「なぜ」「どうして」と子どもたちの姿を自分に問います。「なぜ、私にふわふわの土をかけ教えてくれたのか」「どうして土がお薬なのか」「なぜ、花壇のコンクリートの枠が椅子となるのか」「どうして、友達と同じ思い(ふわふわの土は気持ちいい)が生まれたのか」と。問いながらそれまでの子どもたちの姿を振り返り、人間関係や要因となるものを考えていきます。 するとたくさんのことが見えてきます。『ふわふわ』という感覚を研ぎすました言葉や、その土を見つけたうれしさと感動を伝えたいという思い。一緒に遊びを楽しんでいた友達との共感。土をかけると土団子が変化し、良くなっていくという意味でのお薬。そこにあるコンクリートは、土団子をゆっくり作ることができる椅子になり、ものが違う意味を成していること(子どもたちにとっては)。「気持ちいい」という感情が土団子をつくる仲間の中で共通する思いになっている心地よさ。『遊び』の中での経験(出来事)を通して、子どもたちが得ているものがたくさんあってわくわくしてきます。なぜ、わくわくするかというと、この子どもたちに次はこうしてあげたいな、どんな環境を整えればいいのかという思いが私の中に生まれるからです。子どもたちの姿から読み取ったことを次に生かしていきたいと私自身の感性と知性が動き始めます。新しいとびらを開けるような感じです。
築山の斜面を利用して塩ビのパイプを利用して水を流すことを楽しんでいる5歳児。何回も築山に上から繰り返し繰り返し水を流していきます。そのうちに水を運ぶ時は、友達と一緒に力を合わせて水を築山の上まで運び、水を流す時は、「いくよー」「いいよー」「見よってよー」「来たぞー(水か)」と声を掛け合います。遊びを自分たちで進めていく中で自分の役割を見つけ、友達と協力していくことを楽しんでいます。私が「こうしなさい。水運ぶのは○○君と一緒にしてね」と言わなくても子どもたち自身が考え自分たちがしたい遊びの目的に向かって、友達と一緒に楽しむ方法を考え、実現していきます。これまでの経験の中で体得してきたことが自然に表れてきます。 そんな子どもたちの姿を見ていると、豊かな経験や体験の積み重ねの大切さや子どもたちにとって必要な環境をどう整えてきたかということを思わずにいられなくなります。そんな思いを起こさせてくれることは、私の幼稚園教諭としての質を高めていける要因になっていきました。
幼稚園で子どもたちと生活する中で、私自身の感性と知性が子どもによって耕され続けています。そして「これでいい」ということはではなく常に進化していくことの大切さを感じます。それは「なぜ」「どうして」という子どもの姿を読み取ることにはじまり、子どもの姿から新しい何かを教えてもらい、学ぶことにつなげていくことだと思っています。 今、園長となり、子どもたちから教えてもらったことを改めて考えると感謝の気持ちでいっぱいになります。これからも「新しいとびら」を子どもとともに開いていきたいと思います。
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私は、教員として愛媛県に奉職して36年になりますが、半分の18年間は学校以外に勤務しました。直接生徒に接する期間が短かった分、「私の教育実践」として披露できることも多くありませんので、最後に勤務させていただいた松山南高等学校のことを振り返り、これに代えさせていただきたいと思います。 松山南高等学校は、①明治24年に開校した私立愛媛県高等女学校を起源とし、県立第二高等学校などを経て昭和24年に開校した本校全日制(現在は普通科・理数科)、②昭和23年に開校した県立第二高等学校定時制を起源とし昭和24年に開校した本校定時制(現在は普通科)、③昭和23年に開校した県立砥部高等学校定時制を起源とし昭和37年に開校した砥部分校全日制(現在はデザイン科)の「三つの学校」で構成されています。 3年前の着任以来、「三つの学校」それぞれに伝統を誇り、生徒、教職員ともに持ち味を発揮して活躍している良い学校という自負がありましたが、少し物足りなく感じることがありました。それは、三つの学校を隔てる高い壁があるかの如く、相互の交流がとても乏しいということでした。 そんな折、本校全日制第1期生のわたなべひろこさんが、『本校全日制、定時制、砥部分校デザイン科のすべての在校生の頑張りを応援したいので、心ばかりのお手伝いをさせていただきたい。』といって寄付を申し出てくださいました。彼女は多摩美術大学の名誉教授で80歳半ばを過ぎておられますが、テキスタイルデザイナーとして国際的に著名で、今なお現役で世界各地を飛び回っていらっしゃいます。お礼を申し上げるため東京出張の合間にお宅を訪問し、本校や砥部分校の生徒の活躍の様子をお話しすると、とても嬉しそうにうなずきながら耳を傾けてくださいました。それから2時間近く、彼女が高校を卒業してから、大学生活、留学経験、大学人として、今日に至るまでの波乱の人生を語っていただきました。強く心に響いたのは、最近よく耳にする「グローバル化」についての見識でした。『私が若いころは、外国に出て行こうと思っても色々な制約があり、思うようにいかなかったが、逆に今の若者は、あまり世界に出て行こうとせず、内に内にと向かっているように感じる。資源のない日本が国際社会の中で将来も存続していくためには、もっと世界に目を向けてほしい。それと同時に、欧米をはじめ外国に手本を求めるのではなく、自分たちの足元、日本のオリジナル良さに気付き、それを大事にしながら世界と向き合ってほしい。』というお話は、生徒たちに直接語ってほしいと強く感じました。 また、彼女は、私たち教員が無意識に築いていた「『三つの学校』を隔てる壁」の存在とその無意味さにも気付かせてくださいました。それぞれに特徴があって頑張っている生徒たちですが、同じ卒業証書を手に「松山南高等学校」を巣立っていくにもかかわらず、お互いのことをよく知らないままでいるのはもったいないと考えるようになりました。この思いをPTAや同窓会の役員の方々にお話しすると皆様に賛同していただきましたので、私は、今年度を「オール松山南 元年」と位置づけることにしました。 例年、三つの学校がそれぞれ別個に実施していた行事のうち、できるところから相互交流を始めました。ちょうど砥部分校デザイン科は創立70周年の節目の年に当たり、11月の記念文化祭には本校全日制・定時制の生徒の作品の展示や、本校吹奏楽部による金管十重奏のステージ発表を行い、好評を得ました。1月には本校の芸術文化発表会と砥部分校デザイン科卒業制作展がほぼ同時期に開催され、この機会にも相互の交流を深める取組を行い、生徒たちは日頃知らないお互いの良さに徐々に気付くようになりました。 また、県教委主催の「地域に生き地域とともに歩む高校生育成事業」には、本校全日制のSSH(スーパーサイエンス)と砥部分校デザイン科が連携協力して取り組む「砥部焼の魅力再発見プロジェクト」を企画・提案し、30年度事業に採択されました。 そして、極めつけは、三つの学校の生徒が、松山南高校の歴史上初めて一堂に会する行事として、卒業式前日の2月28日に県武道館主道場において、本校分校合同同窓会入会式と、オール松山南高校第1回合同イベント「卒業を祝う会」を開催できたことです。わたなべひろこさんに講演をお願いしたところ、御多忙にもかかわらず快諾いただき、「皆さんに伝えたいこと」と題して、「自分を育てるのは誰でもなく、自分自身である。自分の価値は自分で作る。」「人生には必ず挫折の時がある。しかし、それを『来るべき試練が来た、試練のチャンスだ』と思って闘うと、ある日すーっと抜ける時がある。その時支えになるのは、夢へのこだわり、信念です。」などと、生徒たちに熱く語ってくださいました。会の最後には、三つの学校の全教員が卒業を祝福する歌を合唱し、会場にいる全員の気持ちが一つになったと強く感じました。 わたなべひろこさんに背中を押され、大勢の皆様の力を借りることによって、一人の力では成し得なかったオール松山南の風を起こすことができたことは、私の教員生活の中で最も印象深い出来事であり、とても勇気づけられました。願わくば、この風が途絶えることなく「三つの学校」に吹き続けてほしいと思います。 結びに、お世話になった先輩、同僚の先生方、同窓会やPTAの皆様をはじめ、これまで出会ったすべての方に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。
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